九代目のひとりごと

5.「緊張」「出会い」「感動」  第九交響曲合唱参加は人生を変えた。夢はオペラ・・・

「緊張」「出会い」「感動」
第九交響曲合唱参加は人生を変えた。夢はオペラ・・・

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以前この「ひとりごと」で第九交響曲の合唱に参加する話を書いたらかなり反響があった。友人や合唱の仲間達を抜かして、季節柄まず検索エンジンで「第九」と入れたらこのホームページにいつの間にか辿り着いた方がかなりいた。また先月「サライ」に掲載されたことも大きい。小さい記事だったが掲載後、問い合わせやホームページのアクセスが多くなった。ある雑誌の編集者から「御社のコラムを読んでいたらふとんと関係のないコラムがありなかなか面白い会社だと思いました」という電話があった。

顔も知らない方からメールで「第九がんばってください」とか購入者から「第九出るんですってね」なんて言われるとどうしても照れてしまう。この場を借りて皆さんにお礼を言いたい。「無事に最後までステージに立っていられました」

当日は朝から緊張の連続だった。妻がこれでもかというような大きい弁当を作ってくれたが感謝しつつ全部食べられないだろうと内心思っていた。

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 東京・有楽町に近いその会場は有名歌手や海外アーティストなどがイベントを行う巨大ホール。会場に着くなり「舞台関係者入口」というドアに入った瞬間までは有名人になったような気分でいられたが舞台を見学した瞬間、有名人どころか超小型人間になってしまうぐらい萎縮してしまった。
「収容人数 5000人」しかも主催者から「チケットがほぼ完売した」と聞いた。まずい。これはまずい。自分はこんな場所で歌うのかと思うと吐き気がしてきた。
私を観に来るのは家族や友人や知人およそ20人。4980人は私を観ているわけではないと言い聞かせて本番まですごした。控え室での練習、本番同様に行われるリハーサル(ゲネプロ)などを行ったが周囲もかなり疲れている様子。しかし歓びの歌なんだから辛い顔なんか見せられないという意志が伝わる。そして本番直前、指導にあたった指揮者の方や先生が大声で「今年の皆さんは非常にうまかったです。自信持って歌いましょう!」
と話すと拍手が起きた。しかしその後「無理しないでくださいね。一番前には我々プロもがいるんだから無理しないで!具合悪くなったらしゃがんでいいから」と言った。おいおい5000人の前でしゃがめる人がいるか・・という雰囲気になった。

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そして第九の演奏が始まる。我々は舞台裏にいった。いよいよ第3楽章が始まる。
関係者が「はい入って」とドアを開ける。観客はぎっしりだ。

よく「大勢の人前に出るときは人をかぼちゃと思え」と言うがあれはウソだ。人は人だ。
かぼちゃに見えない。足が震えている。練習より声が出ない。鼻がかゆい。目がくらむ。
しかし合唱団の中で若い部類に入る私がここでしゃがんだら打ち上げ会で笑われる。
「フロイデ、シェーネルゲッテンフンケン」何とか歌えた。横の人が練習ではうまかったのに間違えた、横を見ると苦笑していた。あれで何かリラックスできてきた。
無事に終わったあとはしばし呆然だった。演奏が終わり、拍手も終わりかけたそのとき2階席の真ん中でいつまでも手を振っている人がいた。位置的に見て妻だろうと思った。
妻のおかげでここまで来れた事を思うと感動してしまい目に涙があふれてきた。去年、車中で「声がいいから第九でもやれば?」その一言で今この舞台に立って歌うことができた。妻の両親も私の母も感動してくれた。

打ち上げの時、今回の有名指揮者から「おたふくちゃん、ありがとね」と握手をいただいた。(先生は福岡出身でおたふくわたをよく知っていたので練習中「おたふくちゃん」とよく話しかけてくれた。)合唱の皆と練習中にはできなかった名刺交換をして交流を深めた。職業や性別なんか関係なく半年練習を続けてきたのでかなり親しくなれたと思う。

仕事があり思うように練習はできなかったが間違いなく「第九」は私の人生を大きく変えた。私の夢は更に広くなっていった。あるプロの合唱の方から「声がいいから練習を続けたら力がつくよ」とほめていただいた。仕事と同じでこだわり出したら止まらない私は自宅に着くなり妻に「今度はオペラを教えてよ」と話した。
あきれた顔をしながら「お弁当全部食べれたの?」と言われた。
とにかく感謝

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年11月に執筆されたものです

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