九代目言聞録

12.学校が消えたぞ! ~ふとん職人学校閉校~

もうこれは非常事態っていうもんじゃない!
昨年、寝具関係者の多くから聞いたこと、それが「東京蒲団技術学院が閉校した」というニュースだった。景気回復の兆し、いや完全復活だとテレビ・新聞・雑誌からこのような言葉が毎日僕の耳や目に入ってくるがこの業界にいると外のそういった世界が遠くに感じてしまうぐらい暗い話が多い。極論すれば寝具業界だけはバブル崩壊後のままでいるといってもいいぐらいだ。とにかく「どこそこが倒産した」「あそこが店を閉じた」「息子が継がないといってきた」・・・など業界の先々を不安視してしまうことが毎日起きている。
その中で文頭の学校が閉校した話は衝撃だった。僕がおたふくわたを復活させる前に書いていたコラムhttp://otafukuwata.com/wp/?p=322にも登場した東京都板橋区にある「東京蒲団技術学院」の中村校長先生が高齢と生徒減少のために昨年34年間続いた学校をやめてしまった。ということはこれで日本にはふとん職人を育てる学校がゼロになったということである。もうこれは非常事態っていうもんじゃない!職人と名のつく世界には少なからず学校はある。料理の世界、大工の世界、裁縫の世界、それなのにふとんだけなくなった。これはもうふとん職人が消えてしまうのも時間の問題だ。
僕はこのニュースを知ったとき心の中で自分を含め多くの関係者がこの学校を残す努力を全くしていなかったことに強い責任を感じてしまった。校長先生は現在92歳である。学校を立ち上げてから閉校まで僕や卒業生3,000人、そしてその関係者が34年間何も対策をしていなかったのはもう大問題である。職人の世界で「ふとん」だけ職業訓練校がなくなったのは残念しか言いようがない。大ピンチだ。
しかし僕も含めてこのことを責められれば自分のお店の存続だって毎日どうなるか分からないから学校の事も気にしていても行動に移せない。どうしようもなかったと言うだろう。それはそれでもっともな意見だ。でも体力のある若い人たちは何もできなかったのか・・
ふとん職人の平均年齢は60代である。その息子は30代が多い。
私が訪問した店で後を継いでいる息子さんはほとんどいない。仮に50人と会ったとして後継者がいるのは10人ぐらいだろう。さらにふとんを作れる人はこの半分ぐらいになってしまう。驚いたのは継がない子供たちの就職先が繊維やアパレル関係というのが結構多いことだ。それって何となく親父の背中を見ていたのに実に残念なことだ。
中には元気なふとん屋があってそういう店は息子も「ふとん作れるってかっこいい」と継ぐことが多いのだがそれは親父の仕事に誇りを持っているんだろう。
職人はかっこいい!
おたふくわたも必死に毎日、動いている。決して稼ぎまくっているわけではない。でも動きを止めたら一気に暗いふとん屋さんになってしまう。僕はやっぱり会社の基本は営業だと思う。外に出て稼ぎのきっかけを作らなければいくら社内事務で優秀な社員がいても勢いや注目がなければ意味がない。いつかそれが商談になり商売になるからだ。僕はそう思っている。
そして僕はふとんを作れる人たちは「かっこいい」と素直に思う。手ぬぐいを頭に巻いて1時間強で人生の3分の1を過ごす製品(いや作品)を見事に作り上げるから。これを知らない人はかわいそうだ。近頃流行のビジネスはもし大地震や大災害が起きれば避難所の体育館でパソコンが使えなければ商売ができない。でも職人は出来る。衣類や綿を集めてふとんを作れる。食材で寿司を作れる。あちこちの木材で椅子を作れる。いざとなれば職人は強い。手が道具だからだ。
だから僕はふとん職人をかっこいい職業にしたいから夏に学校を作ることにした。学校作りや生徒を募集し面倒見ることは簡単なことじゃない。東京都職業能力開発協会の方々が僕の熱い気持ちに応えてくれたから動き出すことができた。今年募集しても生徒はゼロかもしれない。卒業する学生、フリーター、ニートでもいい。ふとん屋を継ごうとしている人でもいい。とにかく集まれ!そして1ヶ月ふとん作りの勉強をしたらあとはおたふくわたが頑張って修行先を見つけるようにする。給料を出してくれる会社を見つけるようにする。かなり課題もあるし乗り越えなければならない山は大きい。しかし何もしなければ職人が消える。5月に東京都から正式に発表が出るはずだ。
僕はこれから毎日ふとんの関係者に会っていくつもりだ。このコラムを読んでいるふとん屋さんももし興味があればぜひ連絡をしてください。「おたふく寺子屋」は自分の会社のためではなく業界全体で職人を残こせるように作る学校です。
次回は「僕の掃除論」についてです。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年12月に執筆されたものです

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