九代目のひとりごと

6.学生時代に経験した理想の家庭像

学生時代に経験した理想の家庭像

最近、雑誌や新聞で想像を絶するような事件や犯罪の記事が多いが、こういった背景には必ずといっていいほど子供の教育や親子、夫婦間の関係などが絡んでくる。ある雑誌では「これからの父親は仕事を定時で切り上げ、家族といる時間を増やすことが重要だ」といった内容があったが全くその通りだと思う。

私は幼少時に父を亡くし、そのあと歳がはなれた姉が結婚したので母と二人の生活が続いた。父が生きていた頃、日本は高度成長期にあり父も非常に多忙な毎日を送っていたので、父の帰宅時には私はすでに眠りについていた。だから家族団らんの食事というのは数えるほどしかなかったと記憶している。

hituji

牧羊犬と羊たち(ニュージーランド)

私が家族団らんの経験をしたのは高校時代だった。ニュージーランドの高校に2年ほど留学していたのだが、前半は寮生活、後半はホームスティという経験をした。このホームスティの家庭が私にとっては大きな財産であり今でも理想の家庭像として心の中に残っている。父親は貿易会社を経営していたが学生時代はボクシング部に在籍していたという体育会系の格好いい人だった。ひげ面はちょうどひげをたくわえていたころの歌手エリック・クラプトンに似ていた。母親は専業主婦、息子は私の一つ年下で同じ高校に通っていた。お姉さんはなかなかの美人でニュージーランドの雑誌に何回も出ていた高校生兼モデルの女性だった。家族構成は偶然私の家族と同じだった。

父親は厳しくて優しい人だった。「ヒロ、俺はお前を本当の息子と同じように接する。たまに手を出すこともあるだろう。日本にいるヒロの母親から送るお小遣い、通帳は大切に保管しておくがその都度判断してヒロに渡すようにする。」といわれていた。手を出すことはなかったが(息子にも)大声を出すとかではなく静かにゆっくり話すその怒り方は半端ではない威圧感だった。

また「本当の息子」扱いされていた私は母親が寝る前に息子にキスをするのだが私にも毎晩キスしてきた。内心は少し嫌だったが「優しさ、温かさ」に感動しそのうち慣れてきた。 また「お前は少し太っている」と言って早朝5時に起こされ登校前に父親、息子と3人でジョギングをしたりレース用の本格的な自転車を購入してくれて、それに乗らされていた。おまけに3人で週末になると「トライアスロン」のようにスイミング競技がない、マラソンと自転車競技のみの「バイアスロン」という競技に出され、いつもビリから3番目ぐらいだったが「日本人が参加している」という珍しさから毎回ギャラリーが温かい拍手を送ってくれていたので気分は「1位」だった。現在でも週2回はジョギングとウェイトトレーニングを続けているのは、このころの影響だと思う。

夕食時には父親は帰宅してすぐネクタイを外し台所に入る。そして母親にキスをして今日の報告を聞く。支度は母親がやり席につくと家族の長である父親がメインディッシュであるローストビーフや鳥の丸焼きなどをナイフで切り、家族それぞれの皿に乗せる。

そして食事がはじまると父親は家族の会話を大切にしたいので、すかさず電話機の受話器を外して息子や娘から一日の出来事を聞く。息子と娘は父親に面白い話を早く聞かせたいのか、毎回いつも話す順番で揉める。(私は揉めている間に頭の中で報告を英語に直しているので食事どころではない)その報告をネタにワイワイと盛り上がり食事が済む。後片付けは息子がお気に入りのラジオをかけて私を含め子供達がやる。役割分担が完璧なのだ。父親が尊敬され、家族でたくさんの会話をして、週末は家族で出かける。この体験は私にとって本当に居心地が良かった。そしていつまでも私には忘れることの出来ない財産だ。

日本とは文化、歴史、社会情勢なども全く違うので単純に比較することは出来ないがこういった家庭が日本でも増えればきっと悲しいニュースも少なくなると思うのは間違いだろうか。 学生時代まで頻繁に手紙をやりとりしていたが私が受験を境に返事を書かなくなってしまい途中で連絡ができなくなってしまった。最後の手紙には母親が重い病気にかかり自宅も引っ越すという内容だった・・・。

私は今年の冬ニュージーランドに行く計画を立てている。このコラムを書いている前日に私の通った高校の立派なホームページを発見した。そして私はこの家族を探すべく作業をついにはじめた。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年12月に執筆されたものです

ページトップへ