30.僕が感動した「ヨシムラ的生き方」 ~涼しいところに行きたい理由から始まった北海道人生~

営業をしていると色々な場所へ出かける機会が多い。取引先との打合せはもちろん、パーティーや集会などでも魅力ある人と出会う。その中で最近のヒット作は「ヨシムラさん」との出会い。
ある取引先の社長宅で新年会が行われご招待を受けたのだが、入った瞬間ヨシムラさんに目がいった。派手とかじゃないのだが、不思議な存在だった。

顔は谷村新二系で黒いタートルネックを着ているのだがなぜか鬼の顔のバッジを胸につけていた。多分節分が近いからだろうけど、ユニークな人だ。靴下も「大衆食堂」と書いたものを履いていた。私は完全にヨシムラさんをマークした。

ヨシムラさんは北海道で生活しているのだが「北海道のどこにお住まいですか」と聞くと平然とした顔で「バスの中です」と返答してきた。

10年以上前にご夫婦で「東京は暑いから北海道に旅行でもいこう」と話し、それから毎年北海道に行くようになり、自然の美しさ、人との出会い、数々の感動 を味わい、後にここに住みたいと感じるようになった。そして北海道で知り合った多くの方からの協力を頂き、「空いている土地」を譲り受け「廃棄処分してあるバス」も知り合いからもらいそこに住むようになったという。

写真を見たが広大な緑の中にぽつんと緑色のバスらしい建物が2台写っていた。写 真は竣工から完成までの作業を撮っていて、最初はバスの中の椅子や木枠などを外す解体作業からはじめ、さらに2台のバスをつなげたり、土を深く掘り下水道 を作るなど、まさに住宅改築の工程のように作業が進んでいる様子が分かる。そして最後に屋根の部分を白く、側面は緑色の塗装で完成させた。
奥さんと2人で作業したらしい。「変わった主人を持つと大変よ」と奥さんは言っていたがその奥さんも笑顔で土を掘ったりバスの中を解体している姿が何枚も写っている。
「これが寝室、ほら窓が見えるでしょ?一番後ろの席のとこを改造したんですよ。ここから入る太陽が目覚まし時計なんですよ」確かにバスの後部座席の窓枠の面影がある。
「あっここは以前は運転席。上に棚があるでしょ。これはそのままにしてあるんですよ」
写真では台所になっていた・・・。

ヨシムラさんは別にお金に困ってない。ただ「都会に飽きちゃった」だけの理由で越したのだ。さらに電話もテレビもパソコンもないそうだ。身内や知人がヨシムラさんと連絡を取りたいときは電報で連絡しているらしい「デンワクダサイ」・・・。

0602_1

生活はレトロかもしれないがヨシムラさん自身を見ていると「NEW」な雰囲気を持っている。おいしそうにお酒を飲みながら「楽しいですよ。年とったせいでやっぱり冬は寒いんで、東京に戻ってきます」あっ冷暖房も当然付けてないんだ・・・。

私はなんだかうらやましいと思った。突然奥さんと北海道にいきバスの生活。ヨシムラさんから見たら私達の生活こそ異空間に見えてきているのかもしれない。

携帯?ネット?ファッション?株?ヨシムラさんには「SO WHAT!?」なのかもしれない。それでもこうして顔色も目もぎらぎらして、元気に生きている。

とうとうヨシムラさんの職業や住所を聞かなかった。でもまた会えるような気がする。

一度バスの中で泊まりたいものだ・・。

当然このコラム読んでないですよね・・。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年2月に執筆されたものです

[add_pager]

29.復活劇よりも結果を問われる2006年 ~今年もおたふくわたは「独自路線」でいく~

突然だが、かつて小泉首相は「変人」呼ばれされていることについて「変な人ではなく変革の人という意味があるのでしょう」とサラリと答えた。おたふくわたも業界内外で「異端的」な目で見られているようだ。だがそれはわが社にとってはむしろ喜ばしいと考えたほうがいいかもしれない。個性的な会社だと認めてもらっているようなものだからだ。

さて、新年を迎えたと思ったら、あっと言う間に中旬になった。「時」が高速化していると言ってもいい。内外色々な出来事が日々起きて、すでにこの「今」が遠くへ過ぎ去ろうとしている。

おたふくわたも復活して今年の9月で4年目を迎えることになる。ということは、もはや我々の復活劇は過去の話になっている。復活の経緯を話して新聞、雑誌で取り上げてくれる時代はすでに終了している。今では「どこにも負けない綿ふとんに対する熱い思い」を話したほうが人々は興味を持ってくれる。

同時にそろそろ結果を問われてくる時期でもある。「復活?で今はどうなんだ」と 言うことになる。これで全く売れていなかったらお涙頂戴の話で終わりもはや綿ふとんの商売は趣味の世界に行くことになる。だが・・・現在予想に反し売上は 年々伸びている。確かにまだ他人に自慢出来る数字ではないがそれでも前年度対比で1.5倍近い数字は出している。今年も大きい勝負を仕掛けていこうと思 う。

まずは「新商品の発表」がある。復活してから今まで私が研究し続けていた事、それは「ふとん綿に合う究極のふとん生地」である。あたかも中綿自身が喜ぶような生地が国内にはまだまだあると信じあちこち時間が許す限り生地巡りをした。その中で素晴らしい生地に出会いそれでふとんを作ることにした。私の理想に近いふとんである。

だがここで立ち止まるのではない。私はさらに究極の生地を求めて歩き続けるはずだ。数年かけてまたそれらは見つかるかもしれないし、何十年かかるかもしれない。

今回の生地でふとんを作ることにより業界内外でもなかなかお目にかかれないすばらしい出来栄えのふとんが出来あがった。あえて他のメーカーがしないことを自ら進んで実現させたものである。2月の正式発売で読者も驚くはずだ。

さらに2月には創業祭として記念オペラコンサートを行う。ふとんとオペラ・・このつながりが面白い。だが、オペラも綿ふとんもどちらも伝統的なものであり、その伝統をさらに広めて人々により定着してもらいたいという考えは意外に距離が近い。

こうした異文化同士が組めば新たな裾野も広がる。いつまでも同じ村の中で普及活動や宣伝活動をしていても仕方がない。オペラファンが綿ふとんを知り、綿ふとん愛好家がオペラを好きになる。そういう広がり方も面白いと考える。

現在あちこちで宣伝をしているが今後も定期的にこのようなイベントは行っていきたい。

そしてホームページもフルモデルチェンジする。新商品発売と同時に全く新しいデザインになる。心機一転の決意である。さらに百貨店の催事、講演会、実演会など色々とスケジュールも決まってきた。これらも新しい試みで色々行っていくつもりだ。昨年の同時期では考えられないぐらいの忙しさだ。

確かに他のメーカーなどと違う方向へ歩き出しているかもしれない。だが他と同じ道を歩むことは進歩ではなくただの模倣の道を歩むだけだ。「綿のふとん・・・それは人々に一番優しい繊維」という理念があれば私達の動きはむしろ正しいと考える。

業界がしてきた販売や取引方法を変えて新しいやり方で商談を増やしていくはずだ、その結果が今年、来年にかけて出てくるはずだ。

今年のおたふくわたをぜひ期待してほしい。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年1月に執筆されたものです

[add_pager]

28.実り多かった2005年のおたふくわた。 来年はさらに「綿ふとん」を究めていく・・・ ~沢山の人に支えられた1年。本当に感謝しています~

もう今年もあと数週間で終わろうとしている。 あまりにも日ごろの変化が多いせいか誰もが 時の流れの早さに驚きを感じているのでは ないだろうか。
おたふくわたも復活してから今年で3年目を迎えた。特に今年は色々な出来事があり実りも多かった1年だった。

まず若い従業員が増え会社の雰囲気が一気に変わった。現在20代、30代の若手が手作りわたふとん普及にやる気を見せて頑張っている。このおかげでお客様はもとより取引先などからも印象が変わったという声を頂くようになった。多彩な顔ぶれが会社に活気をもたらしたことは事実である。

もちろん、ハニーファイバーとともに生きてきた人生の先輩とも言える50代、60代の従業員もやる気を見せて頑張っている。つまり今年になって会社は寝具撤退以来9年目にして、ようやくバランスが取れた感じがする。やはり会社も人の体もバランスが崩れてくるとあちこち不具合が生じてくる。

さらに今年は商談が多く、その結果、取引先が増えた事も大きい変化だ。確かに商談を重ねていると「わたふとん」は時代の逆行だと考える人もいたことは事実。だが発想の転換で「今こそわたふとんだよ」と考えて取引を始めた方が多かった事はわが社にとって嬉しい出来事であり大変感謝している。例えば福岡の老舗百貨店である「岩田屋」と10年ぶりに取引が再開した瞬間は感激のあまり体が震えて仕方なかった。

博多で創業したわが社にとって岩田屋との取引は格別のものがある。遠い空から応援してくれていたご先祖様達もきっと喜んでくれたに違いない。そして催事中も予想を良いほうに裏切り販売好調だった。

このように他にも取引先が増えたことにより「会社の信用力」も高まった。来年以降、さらに商談は増えていくだろう

0512-2

社外でのイベント活動も積極的に行った。渋谷区で行った綿の歴史や寝具の歴史を話した講演会やヨコハマグランドインターコンチネンタルで行ったざぶとん教室はどれも大盛況だった。このようなイベントは来年以降も時間が許す限り積極的に行っていくつもりだ。
店や催事以外での主婦の声を直接聞けるのは大切な事だと思っている。
また新宿御苑には綿の種を提供し現在も丁寧にインド綿を育て続けてくださっている。
最後に私事だが昨年末の読売新聞で募集していたクラシックの作文コンクールで最優秀賞を受賞し特派員としてフランスの音楽祭に招待を受け、家族全員連れていったたことは最高の思い出となった。

こうして考えると凡人である私の周りに、いかに多才なる方々が私を支えていたか分かる。

深く感謝します。ありがとうございました。
来年は1年以上研究して温めていた新作の発表、業界初の本格的なオペラコンサート、ショールーム改装計画、イベントの講師、など今年より慌しい年になりそうだ。

来年の干支である犬のように時代を駆け走り、さらに充実した年にしていきたい。

そして何より笑顔の多い1年でありますように。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年12月に執筆されたものです

[add_pager]

27.またもやテレビ番組で羽毛、羊毛ふとんを否定。 大反響になったNHK朝の人気番組「生活ほっとモーニング」 ~これは鳥インフルエンザに次ぐ自然界からの警鐘か・・~

私は信仰心が特別強いわけはない。だがこれは神の怒り、自然界からの警鐘、と深刻に考えてしまう。最近、あちこちで羽毛、羊毛ふとんを疑問視する声が出ているのだがついに公共放送のNHKでもこれらのふとんを否定してしまった番組があった。

一部のマスコミなどでも取り上げられたが10月4の午前8時45分から放送された人気番組「生活ほっとモーニング」という健康情報番組で「からだはエライ!Q&A ぜんそくの悩み」という特集があった。

ここ最近ぜんそくの患者が急増しているという。しかも成人になってからなる人が多いので深刻化が進んでいるというのだ。アレルゲンの中で特に有名なのがダニ、花粉、カビ、動物の毛、卵、などだが今回はダニを中心に番組は取り上げた。 番組では、ぜんそくを持った子供のいる家族を取り上げふとんの手入れ方法や掃除機をかける前と後でのダニの量などを測っていた。掃除機をかけるとダニの量が減ったというオチだった。

0511_nhk

だが問題になったのはその後だ。場面がスタジオに戻り、斎藤博先生(国立成育医療センター研究所免疫アレルギー研究部部長)が説明をしながらテロップでふとんの素材を○×で流し、なんと羽毛、羊毛に× 綿、ポリエステルに○を出していた。この表示に業界の各団体やメーカーが猛烈な抗議の電話などをしているという。また主婦などからも問い合わせがかなりあると聞いた。
何を根拠にしているのだ。確実なデータはあるのか。という内容が多いそうだ。

私は綿ふとんが否定されなかったと内心安心した反面、テレビの反響の怖さを再確認した。10年前にも日本テレビの超人気健康番組である大学教授が「羽毛ふ とんは温かすぎる。あんなの8時間も寝ていれば心臓に負担がかかる。これは人殺しのようなもんですよ」と発言し大問題になってしまった。

私は勇気を出して番組に出演した斉藤先生に連絡をし、話を聞くことが出来た。斉藤先生は抗議の電話が殺到し多少電話口でも疲れがわかるような口調だったが私には逆の電話だったので色々と話をしてくれた。

何の資料に基づいて話したのか・・・それが気になった。我々は「綿は体に優しい」といくら消費者に話しても「自社製品の思い入れ」と思われる事もある。だから私は寝具に関する公に出ている貴重なデータをいくつも集めている。私の手元には綿が良いと判断出来る資料が揃っている。

斉藤氏が教えてくださった団体、さらに放送をしたNHKにも連絡をしてディレクターと話が出来、ついに会社にデータが届いた。社団法人である日本小児保健協会のデータによると綿ふとん、ポリエステル、羽毛、羊毛、ぬいぐるみ、じゅうたん、などのダニの量を測り掃除機をかけた結果、羽毛と羊毛ふとんはダニの量が大幅に減らなかったというグラフが出ていた。さらに羽毛や羊毛は動物性なのでダニを増殖させていると結論付けていた。

実験方法やデータに関しては多くの意見があるのはわかるが公的機関の学会で発表され、さらにそのデータが有効であると認められてNHKで全国に放送されたことは事実である。

今年の冬には新型インフルエンザが大流行すると言われている。鳥から人にうつる病気は重症化するという。鳥インフルエンザから発生されるというこの病気、そしてBSE牛肉問題など我々を脅かすこの状況は動物界、つまり自然界の警鐘としか思えない。

ふとんに使われる羽毛には関係がないといわれているが販売や輸入に打撃を食らうだろうし消費者から不安の声が再び出るのも確実だ。業界は安全であるという根拠あるデータを出さなければいけない。

だからといって植物繊維である綿にも遺伝子組換え綿やオーガニックコットンなど研究すべき課題は多い。
引き続き我々は日々これらふとんに関する話題をつねにキャッチし探求していこうと思う。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年11月に執筆されたものです

[add_pager]

26.アメリカ人は手作りふとんを知らない。 ~加藤エイミーさんと一緒に商売をすることは今後のおたふくわたにとって意味が大きい~

ブログでも以前書いたが麻布十番で和雑貨などを扱うBLUE&WHITEという有名ショップと組んで弊社の赤ちゃんふとん「おたふくちゃん」を販売することになった。オーナーであるアメリカ生まれの加藤エイミーさんは日本の伝統品や骨董品、珍品などを数多く持つコレクターで写真集や本なども多く出版されている有名人である。私との出会いはブログで参考にしてほしいが、夏前に販売する予定だったがなかなかタイミングが合わずようやく秋には販売が出来そうである。

0510_bluewhite

お互い時間が合わなかったのも理由だが加藤さんは日本に住むアメリカ人の主婦をターゲットにこのふとんを売ろうと考えている。だから夏に打合せをした時は「子供たちが夏休みに入り多くの家族がアメリカに帰っているから販売するなら秋が良い」と提案してきたのだ。

私がおもしろいと思ったのが、多くの外国人をお客に持つ加藤さんが、今回に限っては祖国であるアメリカ人を完全にターゲットとして絞っていることだ。現在、アメリカでは自然回帰という考えも広がってきている。人工製品があまりにも氾濫して環境を汚してきたという反省が生まれ、現在ではナチュラルブームが来ているという。だがこれはブームでなく文化になっていかなければいけないと多くのアメリカ人が思っているらしい。

知人に聞くとアメリカではそもそも肌着、衣類以外では綿100%という素材が少ないらしい。アメリカ綿は世界でもトップシェアなのに国内であまり使われていないという。
つまり、衣類以外は輸入品として国外に出て行ってしまう。当然綿を使う手作りのふとんなんて知らない人が多い。

加藤さんは綿100%を使った手作りふとんはアメリカ人の多くが興味を持つだろうと話した。「赤ちゃんこそ肌や体に優しい寝具」をうまくPRできればきっと売れていくと感じたのかもしれない。「アメリカ人はアレルギーなども気にするので綿素材は受け入れられるでしょう」と加藤さんは話す。

さて日本に住むアメリカ人は綿100%の赤ちゃんふとんをどう評価するのか。
ふとんを日に干す習慣があまりないはずだから、当社の赤ちゃんふとんの手入れをきちんと続けて欲しいという気持ちはある。だが日に干せばふっくらカサが戻り、日に当たったあの独特の匂いをどう思うかも楽しみだ。そして何より手作りでふとんを作ったすばらしさをぜひ実感してほしい。

もし国内のアメリカ人に今回赤ちゃんふとんが高い評価をもらえばおたふくわたは世界的に勝負をかけてみようという大きな目標を掲げられる。だから何としてもこの販売を成功させていきたい。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年10月に執筆されたものです

[add_pager]

25.警鐘!老舗を守れ!

おたふくわたは日本の伝統を大切にする商人と未来へ進みたい。

私にとっての老舗呉服店論

私の友人、知人には周知の事実だが家内の実家は都内でも屈指の創業150年の老舗呉服専門店である。いま私の義弟が父親に代わって会社の先頭に立ち若女将 二人と一生懸命と試行錯誤を重ねながら頑張っている。若い二人の力で店の雰囲気も変わり客層も新しくなりつつある。

ここ最近、老舗といわれてきた数々の企業が倒産や廃業をしている。新聞などを眺めていると知っている名前も良く出ている。誠に残念としか言いようがない。 日本を支えてきたのはこういった老舗企業である。間違いなく日本経済に多大なる貢献をしてきた。

何もIT企業が悪いとは言うつもりはない。だが日本伝統の奥深き「物」が街からなくなってきているのは残念で仕方ない。何も家内工業だけが元気がないので はない。大企業である「ソニー」がいま迷い込んでいる理由はなぜかか。それは「ソニーらしい、日本人らしいモノ作り」をしなくなってしまったからだという 声が圧倒的だ。

季節や出先によって色や柄が選べる伝統衣装である着物、職人が丹念に作り上げた、きめ細かい芸術品とも言える手作り人形、置いているだけで何ともいえない 美しさと柔らかさがあるお椀、そしてお盆、機械では作り出せない気持ちまで涼しくしてくれる扇子、淑やかな日傘、家内工業でがんばっている心こもったおい しい煎餅、おたふくわたも確かに創業が古い。その間に幅広い寝具をやり、寝具以外、例えば不動産などにも力を入れて会社を大きくした。そういった先見の明 を持った先祖様にはただただ感謝することしかできない。そのおかげで大きいピンチも超えてきた。

だが本来、おたふくわたは「綿仲買」だった。「わたくし、いわゆる綿屋でございます」それこそがわが社の原点である。三越も高島屋も昔は呉服屋だった。今 では日本トップの百貨店だが、原点であるはずの呉服の店舗が縮小しプロフェッショナルといえる商人が減っているのが残念だ。暴論かもしれないが彼らの一階 には化粧品ではなく呉服店を置くべきだといつも思っていた。

事業拡大し大成することも偉大だが、私が老舗のお店を尊敬する理由はただひとつ。
「続けている」ことが凄いと思う。亡くなった私の父(おたふくわた5代目)は雑誌の対談で「なぜ2代目の重吉氏が当時盛んであった紡績業にいかずに寝具の 綿にこだわったのかが疑問だ」と答えいる。父にしてみれば当時、寝具部門だけでは厳しいと判断し不織布などにも力をいれ脱・寝具メーカーを狙っていたので そういった考えが出るのは理解出来る。

当時とは状況が全く違うので父を否定するわけではないが重吉氏は「綿屋は綿屋で徹したほうがいい」という博多商魂らしい考えがあったと考える。私は以前新 聞のコラムで書いたことがあるがご先祖様の中で一度でいいから酒を飲みたかったのがこの重吉氏である。「余計なものに手を出すな」まさに老舗企業の鏡であ る。

0509_shirataki

私は義弟の呉服店を見てなぜか重吉氏の事を思い出す。家内や義母からかお店がここまでの道のりに大変な苦労があったと聞いている。先代達が必死に家業を守 ることだけを考え、私財を売ってでも店を守りきったということだ。しかしそれらの思いが今はこうして財産として立派な店として残って居る。
昭和の初期までは呉服店と寝具店が一緒になっている店が多かった。呉服と寝具、お互い綿を使うし絹(真綿)を使う商売。衣食住のうち2つである衣住の要の部分が呉服店で手に入った。いつか一緒に商売が出来ればと考えている。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年9月に執筆されたものです

[add_pager]

24.福岡で感動した宗像の町屋造り 夢はおたふくわたのおふとん屋さん!?

1no24_img

「おたふくわたパンフレット」の表紙を書いてくださり、さらに1年半前に「おたふくわた復活プロジェクト」の最終回を飾った福岡で大活躍中の童画家・田中時彦氏に福岡県宗像市を案内していただいた。
私が行こうと思ったきっかけはおたふくわたのパンフレットの表紙に出ている景色を見た時、田中氏から「この家はまだ残っているんですよ。さらに、おたふくわたの看板も残っているんです。」と聞き、宗像にはまだこういった古風な町屋などが残っているんだと興味を持ったからだ。福岡出身の田中氏自身もこの町に魅了され家族共々、宗像市に越してきたという。
宗像市には数多くの山があるのだが、その山々の先には玄海があり昔はアジア諸国との物資や文化の交流が盛んだったという。物資などが多く入る土地柄の影響で権力があった豪族が多くこの町に住み、今でも豪族の古墳らしきものがいくつも残っている。私は恥ずかしながら生まれて初めて古墳を見た。権力の象徴として大きくそびえたつ立派な形をしたその「お墓」に私はいたく感激してしまった。
今でもこうして自然とうまく調和して古墳というよりは小さい山という形で人々を見守り続けているのだろう。私はその古墳にかなりはまってしまい何枚も写真を撮り続けた。
宗像神社や港などを周遊したあとはパンフレットのモデルとなった家も見にいった。しかし残念ながらきれいに改修されておりおたふくわたの看板もなくなっていた。裏側には自社の看板と思われる「日本一の」だけが残っていたのを見れたのが幸いだった。
唐津街道を通り赤間という町を歩いた。このあたりはかつて宿場や商店がかつて多く存在していた。今でもこのあたりには屋根が立派な町屋が当時のまま多く残されている。出光興産の創業者・出光佐三氏の生家も残されている。町の人々はこういった町屋を残そうと日々尽力されている。
例えば町屋を持つ家主(他にいくつか土地を持っているのだろうが)は空き家になったその家を取り壊さずに他人に貸す事も多いという。このあたりは教育大学もあり学生が多い影響もあるのだろうが、若者も入りやすそうな喫茶店やギャラリーなどが町屋をうまく改修して多く存在している。
レトロな建物の中に入ると、店内も当時のままになっており、人々が暮らしてきた匂いを感じることが出来る。私が入ったその喫茶店も内部はそのままに残されており、近所で営んでいる木材屋さんから入手した一枚板の立派な机があり、おしゃれなジャズが掛かっていた。そこで頂いた抹茶ミルクは最高だった。しばらく座っているとなぜか「懐かしさ」を感じた。祖父の家の縁側で風鈴の音を聞きながら「すいか」や「かき氷」を食べる幼少の頃を鮮明に思い出した。
他には個性的な天然染めの衣類を展示しているギャラリーや前述の木材、陶器などが飾られている店がいくつもあった。原宿竹下通りより何百倍もおしゃれに感じた。
こういった町屋には冷暖房がない。自然に任せている。歴史を感じる古びた畳の上にしばらく座り込むとガタガタいいながら木枠のガラス戸の間から心地よい風が入ってくる。
昔の人々は風の入る場所も把握して設計をしたのだろう。外を歩くと風はあまり吹いていなかった。
現在、田中氏をはじめ多くの宗像に住む方々がこういった町屋の保存会設立に向けて動きだしているという。部外者の私だが協力を惜しまないと話した。
夢物語だがおたふくわたもこういった町屋を借りてふとん屋さんが出来たらいいなあと思った。店内に数枚のふとんを置き、2階では綿の講演会などしたらさぞ楽しいだろうと想像を膨らませた。
宗像での散策は非都会的な空間を楽しめた。移動中にはおたふくわたの看板も見かけた。自社の看板とはいえ、この看板を見かけるとどこに行っても私を守ってくださっているような感覚になる。
田中様一日有難うございました。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年8月に執筆されたものです

[add_pager]

23.「SHOE SHINE」の宮崎さんに感じたプロ魂~靴磨きは人間磨き~

やはりジャンルを問わずどこの世界にも「達人」はいる。腕が良く、接客、サービス、全てにおいてお客を満足させる人は見ていて必ず唸りたくような魅力を備えている。

私は千代田区紀尾井町にあるホテルニューオータニ内の靴磨き専門店に良く通っている。都内にはいくつもお気に入りのホテルがありそれぞれの目的で良く使わせてもらうが靴磨きはここ以外に行くことがない。

お店の名前は「SHOE SHINE」。宮崎さんという方がここで長く靴を、そして人々の人生を磨いている。このお店は著名人や政財界の方々も利用しているはずだが私のような小さい人間でも差別なく大切に接してくれる。どんなに忙しくても笑顔と楽しい話を忘れない。

0507

あくまで推測だが、宮崎さんは座った瞬間に靴よりも先にお客の顔色を見てわずか10分間の「お付き合い」を考えているのかもしれない。私 が明るい気分の時は「会社も忙しそうですね。ますます調子が良くなってきているんじゃないですか」と会社の様子を聞きながら明るい声で勇気づけてくれる し、少し気分が優れない時は、いつもより口数を少なくして「元気ですか?靴もだいぶ元気がないようですね。でも頑張ってくださいよ!若いうちは何でもでき ますよ」と優しく語りながら靴を懸命に磨いてくれる。靴に自分の心も映っているのかと思ってしまう。


はじめて靴磨きをしていただいた時に、自分が商談で外に出る機会が多い事を話したのだが靴をきれいにしておくことは大切ですよ。交渉する時、デキル人間はまずは足先から見ていますからね。」と若干汚れていた靴を履いていた私に助言をしてくれた。「昔、銀行マンは上司から靴が汚れている奴に金を貸すなと教えられていたそうですよ。だから名刺交換の時に深々下げる人は腰が低いというより相手の靴を見ているのかもしれませんね(笑)」とも話してくれた。私はそれから靴を綺麗にする気持ちを持とうと決心した。

布を何枚も使い分けて拭き、順序良くクリームを使いわけ丁寧に磨いてくれる。またクリームの使い方を見ても決して大量に塗らずほんの少しを布につけて磨く。動物を優しく触るような手の使い方で靴をふいてくれる。その小さな静かな動きを続けて、わずか10分近くで信じられないぐらい靴がきれいになっていく。

コーヒーを上手に作る喫茶店のオーナーのように丹念に靴を作り上げる姿。そして座らせている人を飽きさせずにお客の性格に合わせながら言葉を選んでの接客。

私が磨いてもらっているとあるお客が夕方に取りに来ますと言って大量の靴を入れた紙袋を置いていった。やはり常連が多い証拠だろう。私は改めて「プロフェッショナル魂」に感激した。
おたふくわたも宮崎さんから学ぶ点があまりにも多すぎる。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年7月に執筆されたものです

[add_pager]

22.「綿に本気な人を集めて一度全員でサミットを開こうじゃないか!」

最近、あちこちで盛んに綿に関連したイベントが行われている。
嬉しいことにこういったイベントはどこも満員らしい。

おたふくわたも、綿やふとんの歴史についての講演会、先日ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルで昼食とおみやげが付いた手作りざふとん教室も一風変わったイベントだったがそれが受けたのかキャンセル待ちが出るくらい大成功だった。

その他にも糸紡ぎ教室、畑で綿を栽培するイベントなど色々なイベントが毎月どこかで必ず行われている。

0506_menka

特に目立ってきたのが畑での綿花栽培体験イベントである。多くの方々が各地で綿を育てはじめている。現在日本での自給率は農林水産省のデータではゼロである。しかし江戸時代では日本中に綿畑があって松尾芭蕉があまりの美しさに感動し多くの歌を詠んでいるし昭和初期までは日本には綿畑が残っていた。

日本の気候で育てられた綿が日本人には一番いい。だから昔のように和綿を育てようという動きも出てきている。和綿の定義は難しいが色々な国の綿の種を土に入れてうまく育てればそれが和綿といっても・・・反則ではない。

だが日本で育てた綿といって各地のを集めるとそれぞれの種類が出てくる。当然それぞれがうちのが本物だと言い出すかもしれない。だから私は思った。これだけ各地で綿を育てている方がいるのならいっそうのこと皆で集まり大きい集会・・・「ジャパンコットンサミット」みたいなのを開いたらどうかな・・・と。

大変有り難いことだが私のHPはかなり多くの方々が見てくださっている。業界の方々も見てくださっているらしい。私のような小人には何も出来ないがもしこのコラムを読んでどなたか立ち上がってくだされば大変嬉しい。喜んで私も参加したい。

私が知っているだけで全国に10ヶ所ぐらいは綿畑があるのではないか。だが実際はもっとあるはずだ。日本中までとはいかなくても綿畑が多くなれば・・・涙が出るくらい嬉しい。

和綿を本気で考えているならば一度全員で話し合い、声明みたいなものを出したらどうか。
これは愛知綿、それは東京綿、千葉綿、あっちは姫路綿、博多綿・・・など昔の絣などのようにふとんの産地も出来てくれば素敵な気がする。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年6月に執筆されたものです

[add_pager]

21.四国八十八ヶ所巡礼で経験した優しさ。 都会生活で失ってしまった大切なものに触れた・・・。

私は家内と5月の連休を使って恒例(といっても2回目)の四国八十八ヶ所巡礼に行った。(巡礼のきっかけは以前のコラムを参照)  そういえば新婚旅行の時には2日間かけて40キロ近く歩き、最後の寺では涙が出そうになったのを覚えている。なかなか味わえない達成感だった。だが今年の 巡礼からは1歳になる息子が初参加となるので息子を中心にしたお遍路コースを考えねばならなかった。私達は八十八ヶ所を歩いて回る(歩き遍路)を続けてい きたいので家内は数日間、巡礼のガイドブックとにらめっこして息子に負担をかけないコースを考えてくれた。

1_0505_13

前回の続きからとなると本来ならば十二番寺の焼山寺に行くはずだ。しかしここはお遍路さんが始めて経験する超難関のコースである。山の頂上にあるお寺で片道が8時間ぐらいかかる。というわけで今回は十三番寺からスタートした。
最初のスタートは二度目でも緊張する。巡礼前まではあまり考えていなかったのに始まるや否やこれから無事に目標のお寺を廻れるか、息子はバテないか、怪我 をしないか、色々な心配をしてしまう。そしてスタートするお寺ではお参りの仕方なんかも忘れているので家内とガイドブックを見ながら思い出す作業をしたり して時間が掛かってしまった。
だが、一旦最初のお寺を出ると、緊張感も徐々に落ち着き、しっかりとした足取りで歩いているのだ。そしていつものように、道が分かれている迷いそうな場所 には可愛らしいお遍路シールが貼ってあり不安な旅人達の道先案内人として活躍してくれる。このシールを見て私達は俄然やる気が出てくるのだ。へんろ道保存 協会の方々には感謝である。

2_0505_henromark

れ違うお遍路さん同士で挨拶するのはもちろん、街行く通行人からも「頑張って!」と声をかけてもらえる。しかも今回はベビーカーの息子もいるのだ。お遍路の格好した夫婦とベビーカーのトリオはどう見ても目立ってしまう。
< ところで今回私達はついにお遍路が経験する「接待」なるものを受けた!これが本当に感動したのだ。まずは畑仕事をしている方々が休憩中らしくジュースや菓 子類を食べながら立ち話しをしていた。その方々に声をかけられ冷たいお茶やせんべいを頂いたのだ。私達の名前も、来た場所も、巡礼の理由も、何も聞かずた だ笑顔で渡してくれた。ジュースがぬるくならないように氷の詰まったビニール袋まで渡してくれた。この人達は純粋に巡礼している人を応援しているんだと 思った。

私達が急いでいるのも知っているので向こうから「頑張ってくださいな」と切り上げるタイミングを出してくれる。この優しさが更に私達の脚を勇気付けてくれた。
またしばらく歩いていると、今度はある家からご婦人が出てきて僕らに冷たいジュースを数本くださったのだ。きっと遠くから巡礼姿の私達がベビーカーを押しな がら歩く私達を見ていたのだろう。あまりにもタイミングが良かった。このご婦人もジュースを渡すと「気を付けてくださいね。頑張ってください。」とだけ 言って家に入っていった。
都会生活に慣れてしまった私には初めて経験する感覚だった。こんな風に見返りを求めない親切なんてなかなか出来るものじゃない。四国八十八ヶ所巡礼をして いる旅人達はこんな地元の優しさがなければきっと1歩1歩を楽しんで歩くことが出来ないはずだ。

車の中からも「頑張って」と声を掛けてくれる人もいた。こんな嬉しいことは、絶対に新宿や渋谷では経験できない。でも都会でもこういう光景・・・声を出して励ます勇気があればもっともっと人々の関係が向上するはずである。

おかげで1日で、5つのお寺を巡礼できた。距離にして10キロ。息子も元気にお参りできたし満足のいく巡礼だった。そして家内と新婚旅行の頃を思い出しお互いの気持ちがまた新鮮になったことも付け加えておく。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年5月に執筆されたものです

[add_pager]