おたふくわた復活プロジェクト

13.渋谷にもいた頑固職人・・・・ 自転車でふとんを運ぶ中島昭之助氏

前から気にはなっていました。昭和30年代に建てたであろうそのふとん屋さんは自宅の近くにあり、たまに帰路のコースを変えてそのお店の前をゆっくり歩きながら通っていました。ある時建物の横にあるプレハブ2階の窓からふとんを作る初老の職人さんの姿が見えたので「まだ現役で頑張っていらっしゃるんだな」と思いながらしばらく立ち止まってその姿を眺めていました。お店の前には掲示板があり大きい紙にご主人が書いたと思われる筆字で「木綿ふとんが見直されています」という見出しを張り出していました。「木綿ふとんは保温性・吸湿性が良く四季を通じて快適です。そして程よい硬さと弾力性があります。また自然の恵みから出来た植物繊維なので体にも優しくアレルギーにもいいことが分かってきました。重いふとんが苦手な方でも羊毛などと同じ目方に仕立てられます。」という内容が大きい字で書かれていました。

私は週末に開店を見計らってお店に行くことにしました。お店に入るなり名刺を渡し自己紹介をするとご主人は「ああ、おたふくわたさんね・・・あそこの綿はね私は嫌いだったよ」と開口一番に言いました。初めておたふくわたを批判する方に出会えた事といかにも頑固そうな人柄に私は一層興味を持ちました。 中島ふとん店は渋谷区の神山町という場所にあります。ご主人の中島昭之助さんは現在73歳です。物心ついたときから「親方にこの鯨尺で叩かれながらふとんの作り方を覚えた」そうです。(鯨尺とは若い方はご存知ないかもしれませんが竹製で出来た長い物差しです。)現在でも木綿ふとんを注文するお客さんは多く中には若い主婦なども「子供の頃使ったあの程よい重さの木綿ふとんに戻したい」と求めてくるそうです。「近くに東急百貨店本店があるから羽毛は皆そこで買うんだろう。うちの方にも同じ品質で更に安いものもあるんだけどこの辺りの人は店の外観で選ぶようだな(苦笑)」

木綿ふとんの事が書かれてある表の掲示板のことを話すと「あれは月に何回か書き直して貼っているんだ。木綿ふとんは最近見直されているだろう。このあたりの住民はそういうものをなかなか知らないだろうから、ああやって宣伝しているんだ。変に印刷するより手書きで書いたほうが おや、なんかあったのか? と思うだろ(笑)」となかなかの演出ぶりですが、綿の良さを知ってるからこそ、それをもっと広めていきたいという気持ちが私にも伝わってきます。そして話題はおたふくわたの思い出話になりました。 昔よく「おたふくわた」の営業マンが中島氏のところに売り込みに来たそうです。「うん毎日来ていたなあ。安河内さんという方かな?私が30歳ぐらいの頃は確か東京に進出したての頃だろうな。あの頃のおたふくわたは物凄く勢いがあったよ。その結果このあたりのふとん屋さんにはほとんど納めていたからね。安河内さんははまめな営業をしていたよ。」

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でも中島さんはおたふくわたの綿が嫌いだったんですよね?と、私。 「いや高級綿だからね柔らかいんだよ。インド綿もさらさらしていていい綿だったんだけど私は個人的に硬めの綿が好きなんだよ。おたふくわたさんは柔らかいというイメージがあったね。」 昔、関西と関東では木綿ふとんの好みが違ったと聞きます。使う機械にも多少の違いがあったのですが関西は柔らかい綿を好み関東では硬い綿を好むという傾向があったようです。中島氏に今後のお店についてお聞きしたところ「死んだら閉店だよ。子供には継がせません。お得意さんもいるから生きている間は困らない。」そのお得意さんの中でも有名なのが近くにあるNHK本社だそうです。時代劇の番組で使われる雪は中島氏が売っている合繊を使っているそうです。

中島氏は、とても73歳とは思えないほどお元気なのです。画像にも出ていますが2枚の板を自転車の後ろに積んで今でも渋谷から20キロはある五反田や目黒あたりまでふとんを載せて運んでいるそうです。 すぐ近くに木綿を愛している大先輩がいたことに私は嬉しくなり、それから私は中島氏のお店の前を毎日通ることにしました。ある夜もお店は閉めていましたが2階でタオルを巻いてふとんを作っている中島氏を見かけました。 次回は昨年技能グランプリで総合優勝を果たした神奈川の野原氏について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2002年8月に執筆されたものです

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