おたふくわた復活プロジェクト

22.地方でも元気な企業がここにあります。 おたふくわたの魂を見つけた宮田織物

私は早朝たまにFMのラジオ番組を聴いています。 慌しい中で聴いている状態なのでなんとなく耳に入る程度なのですが、私がスイッチを付ける時間帯は気になるお店や会社を紹介しています。ナビゲーターが電話でインタビューをしているのですが、ある朝この番組を聴いていると「はんてん」や「作務衣」について聞いていました。 そういえばおたふくわたも寒い季節に入るとはんてんを売っていたなあと懐かしがっていると、番組の最後に紹介された会社名は聞いたことがあるところでした。 「宮田織物」・・・福岡県は筑後市にあるこの会社が東京のラジオ番組で紹介されていました。 実はハニーファイバーに勤務していたOBの方々から「一度は宮田織物さんを見学されるとおもしろいと思います」と言われていたので私は興味が湧いて宮田織物見学を決意しました。ホームページもなかなか凝っていておしゃれなサイトです。ぜひ一度ご覧ください。

仕事で博多に出張することが多いので日程を調整し、以前宮田織物さんと仕事をしていたという社員の協力を得て、会社にお邪魔することになりました。 当日は大雨だったのですが駅からタクシーで向かうと大きな宮田織物と出た看板の会社が見えてきました。 「わざわざお越しいただいてすみません」と長身でハンサムな方が奥から出てきました。 その方は事業推進部の吉開部長という方でした。宮田織物はハニーファイバーが寝具業を営んでいる時、「はんてん」などを作っていただいた事があるので、当時の苦労話なども聞かせていただきました。しばらくすると宮田常務が出てきました。宮田常務は私より少し年上ですが、経営者らしく落ち着いた雰囲気を持った方でした。 「ハニーファイバーさんには大変お世話になったんですよ。それに・・大変恩を感じているんですけどね。まっそれは後で教えますよ。まずは見学でもしましょうか。」 そういって宮田常務と吉開部長は会社を丁寧に案内してくれました。

私は実はこの会社に来て会いたかった方がいるのです。それは宮田織物のホームページTOPの下に出ている店長日誌というコーナーがあるのですが実は吉開部長の奥様であり宮田常務の姉にあたる吉開店長です。店長の日記は毎日更新しているのですがあの短い文章とはいえよく毎日おもしろくそして時にはほのぼのした温かい内容を書いているものだと感心していました。「いやあ、照れくさいですね。でもありがとうございます。」と笑顔で話す店長はイメージ通りの方でした。 工場に行くとラインがフル稼働していました。そして何より驚いたのが従業員が多いことそしてその従業員がほとんど休む暇もなく働いている姿を見たときです。

「作務衣が売れているんです。着易い、肌さわりがいい、外出などしても違和感のない格好などが評価されているのだと思います。はんてんは中綿に木綿を使っているので温かいことが一番の理由ですね。昔から愛用されている方もいらっしゃるし若い方でもあまり家の中で頻繁に暖房を使いたくないなどの理由で着ている方も多いのでしょう。」 実用的でかつ品揃えが豊富。そして何より高い品質を持っていることが宮田織物の強みだと思いました。印象的だったのは、中国などの外国などから研修生を受け入れていることです。彼女達は私のカメラ撮影や話声など全く見向きもせず目の前の生地を見つめて真剣に作業していました。「とにかくまじめなんですよ。だから商品もいいものが出来るんです」吉開部長も感心した目で彼女達を眺めていました。

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フラッシュなども一切気にせずに仕事に集中している中国人の研修生。
見習いたいものです・・。

最後にはんてんの中に入れる綿をほぐす工程を見せてくれました。と・・・そこにはおたふくわたの顔が印刷されているダンボールがあるではありませんか! 「ハニーファイバーさんや関連会社さんがはんてんを作っていた頃のものですよ。」と宮田常務に言われ私は思わずシャッターを押してしまいました。

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おたふくわたブランドではんてんを売っていた頃のダンボールが
残っていました。 これには感激してしまいました。

「ここの中綿を作っている機械はハニーファイバーさんが寝具をやめられれた後に譲り受けたものなんですよ・・本当に・・感謝しています。」恩があると話していたのはこの事なんだなと思いました。宮田常務はその後更に何か言おうとしたようですが私はおたふくわたが使っていた機械が、今もこうして汚れなどが全くないきれいな状態で使ってもらっていることに感謝の気持ちで一杯になりました。

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九州工場時代の機械の一部を宮田織物さんがきれいに使っています。

次回は名古屋にある小さな綿畑について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2002年12月に執筆されたものです

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