おたふくわた復活プロジェクト

35.おたふくわた復活宣言!!~最終回~ 童画家・田中時彦氏との運命的な出会いそしてカタログ作りへ  後編

童画家・田中時彦氏を知ったきっかけは前回コラムで 詳しく書きましたが氏のほっとする絵を見て私は一度会いたいと思い電話をしました。しかしその日は氏が不在でしたのでメールで自己紹介を書きました。する と数日後に田中氏から丁寧なお返事が来たのです。私からのメールに突然で驚かれたようでしたが、おたふくわたに相当の愛着を持っていただいているような内 容でした。そして文末になんとその週の週末に仕事の打ち合わせで東京にいらっしゃるという話が書いてありました。しかも打ち合わせのギャラリーの場所が外 苑前と私の会社から数分の場所でした・・・。
出会いから打ち合わせの場所まで全て偶然とはいえ驚きました。数日後私は緊張したまま指定の待ち合わせ場所に向かいました。
「おたふわたの復活を心に決めてからこういった緊張感持った出会いはどれぐらいあっただろう」・・・待ち合わせ場所に行く途中、表参道周辺を歩き、人ごみ を一切気にせず私は並木を眺めながら、ふと「おたふくわた復活プロジェクト」で出会った人達の思い出が走馬灯のように頭に蘇ってきました。復活を目指しコ ラムを書いてきたこの2年間、色々な出会いがありました。皆さん満面の笑みで握手をしていただき、そしておたふくわたやそれに関わってきた方々の色々な思 い出話やエピソードを思い出していました。田中氏とも何の縁もなかったのに突然氏の作品の絵はがきが私の目の前に現れ、こうして会おうとしているわけで す。本当に周りの支えてくれた人に私は感激しています。
さて待ち合わせ場所に田中氏は立っていました。ホームページなどで顔が出ていらっしゃったので私はすぐ分かりました。
「あれれ原田さんですか? 若いんですねえ」といきなり言われてしまいました。
田中氏がいつも外苑に打ち合わせに来た時寄るというモダンな珈琲屋さんに行きました。おみやげにおたふくわたの看板も入ったご自分の作品のはがきを下さいました。
私がそのはがきを見ていると氏は「おたふくわたのあの看板は私にとって何ともいえないんですよ。かわいくて仕方ないですね」と言ってくださいました。
童画家はご自身も童心にならないと描けない。田中氏の笑顔を見てふとそう感じました。「こんなにおたふくわたの看板を書いて著作権に問題ないか悩みながら 書いてはいましたが」と苦笑されるので「いえいえ私たちにとってはいい宣伝をしていただきました。」と答えました。

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弊社に訪問してくださった田中氏。
うれしそうにおたふくわたを持っていただいています(笑)

 ところで田中氏はこういったノスタルジックな絵をどうやってイメージして書かれているのか聞いたところ「私の住んでいる宗像市の自宅周辺にはこういった光景はまだいくつもあるんです。わざわざその為に引っ越してきたぐらいですからね(笑)」
とおっしゃっていました。ご近所の姿が作品のネタになるという何ともうらやましい町です。
「新おたふくわた」が目指しているのはインターネット版の「昔のおふとん屋さん」です。最高の腕を持つ職人さんが皆さんの体型になるべく合わせて最高の 高級綿を100%使って丁寧にふとんを作ってそれをインターネットで売ります。ほのぼのしたあのふとん屋さんの雰囲気をなるべくネット上で実現できるよう に私は考えています。田中氏の絵を見ていて私は妻が言ったようにおたふくわたのイメージに合った作品だと思いました。そして私は田中氏におたふくわたのふ とん販売用のカタログの表紙を思い切ってお願いする事にしました。カタログの表紙には私をイメージにした子供一人登場します・・・。

さて、この2年間おたふくわた復活プロジェクトを見てくださり本当に有難うございました。皆さんの口コミのおかげでここ1年急激にアクセスが増えて雑誌や 新聞にも登場できました。そしていよいよおたふくわたは限定販売という形で復活します。8月に各マスコミにリリースします。皆さんの励ましなどがなかった らここまで出来ませんでした。
本当に有難うございました。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年7月に執筆されたものです

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