九代目のひとりごと
4.好物・塩まんじゅうの人気に学ぶ
私はたまに妻と巣鴨の「地蔵通商店街」に行く。
友人や仲間には「おじいちゃん、おばあちゃんじゃないんだから」と笑われてしまうが、おじいちゃん、おばあちゃんの原宿竹下通りとも言われるその商店街は、31歳の私でも十分楽しめる商店街なのを、その友人たちは知らない。私にしてみれば知らない方がむしろ哀れに思えてくる。
なんといってもまず、この通りにはおいしいものが沢山ある。
日本人の私たちにはなじみの深い惣菜、つけもの、梅干・・・屋台のやき鳥だってなかなかおいしいのだ。また出店では女性用のカツラを売っていて 「お嬢さん、ほらこうやって被ればバレないでしょ」と、みのもんたばりの口調で多くの人の足を止めさせ、興味を持たせている。有名易者による手相占いはなぜかコピー機で手を撮り、色々診断をする。さらに神社の中では「1分マッサージ」といって白衣を着た中年男性3人が立ちながら肩や背中を揉んでいる。これがまた凄い行列なのだ。
日曜日の午後なんかにこの場所に来ると、私は東京とはいえ少し都会から離れた気持ちになる。 確かに人は多いが、おばあちゃん子だった私や妻にはなかなか居心地がいい空間なのだ。ちなみに私の会社の近くには本当の原宿・竹下通りがあるが徒歩通勤するときはこの通りを歩く。地べたに座る若者、ボブサップのような大きな外人が修学旅行生にカタコトの日本語で店に誘う。学校はどうしたの?と言いたくなる時間帯に制服姿の子達がファーストフード店にいる。私にとっては巣鴨の方が断然心地がいい。
話を巣鴨に戻すが、私たち夫婦が最も気にいっているのが商店街入り口すぐにある「巣鴨園」の塩まんじゅうだ。 妻の亡くなったおばあちゃんが大好きだったという思い出の大福もちだが、とにかく「うまい」。
程よく塩気の効いたあんこがたっぷり入り、それを包み込むもちの量がなんとも絶妙だ。お茶と一緒に食べれば、紅茶とケーキなんかより数倍幸福感を味わってしまう。持ち帰りもプラスティックの入れ物に輪ゴムで止めるだけなのだがこの単純な包装が不思議とまたうまく見えてしまう。店員も皆優しくて高齢者相手に丁寧に接している。塩まんじゅう以外にも数種類のおまんじゅうがあるがあくまで「塩まんじゅう」にこだわっている。他にも似たようなお店があるが、いつも混雑しているこのお店が一番と私は思う。お客さんに対する姿、そして味、これはまさに私が求めている商店であり、商人(あきんど)の姿だ。
おたふくわたも決して高級路線や豪華な演出をするつもりはない。現在の「おたふくわた」は寝具業界の中でも最小の部類に入るメーカーだと思う。しかしこの規模は私にはちょうどいい。江戸時代に先祖たちが苦労して綿を売ってきた姿と照らし合わせながら売っていけるからだ。 綿にこだわって、手作りにこだわって売っている。私はインターネット販売を主としてきたが、会社の中にお客様と直接商売が出来る空間を作ろうと決めた。きっと塩まんじゅうのように綿にこだわっている人も来ると思ったからだ。私は出来る限り作務衣などを着て綿を見せたり綿の歴史を話しながらお客様と綿談義をしていきたい。そう思った。
巣鴨に行くとそういうビジネスヒントも出てきたりする。人々が求めているのは、いや日本人が求めているのはやはり「ほっ」とする空間なのだと思う。
※このコラムは2003年9月に執筆されたものです