九代目言聞録

6.「僕にとっての「昭和プロレス」長編」~僕にとっては猪木が昭和プロレスである~

僕の憧れは裕次郎から猪木に変った
 「ねえ、今日はプロレスを観ようよ」「いやだよ、太陽にほえろを見るんだよ!」
これは小学生の時に従兄弟とチャンネル争いをしたときの会話だ。僕は後者の方。
当時の僕は親父を亡くし心にぽっかりと大きな穴が開いていた。それでも子供なりに前を見て懸命に生きていこうとしていた。親父は休日などに、紺のブレザーを着てワイシャツの中にスカーフを入れてサングラスをかけるスタイルが多かった。参観日にその姿で現れ同級生に「お前のお父さんってかっこいいな」なんて言われて嬉しかったのを覚えている。だから亡くなった後はそういう親父に少しでも似ている人間を追っていた気がする。
「太陽にほえろ!」に登場する石原裕次郎は顔のふっくら度など外見の雰囲気が親父に良く似ていた。だから結構、この番組は楽しみにしていたのだ。それが我が家に遊びに来ていた年上の従兄弟にチャンネルを奪われた。しかもプロレスなんて「野蛮な」スポーツという印象を持っていたのでプロレスを仕方なく観ながら内心はイライラしていたのを覚えている。(従兄弟は当時のこの事を全く覚えていない)
 その時はじめて「タイガーマスク」を観た。当時、プロレスブームが起きていてとくにその主役がこのタイガーマスクだったわけだが、僕にはあまりピンと来なかった。アニメと実写が当時の僕にはどうもしっくり来なかった。やはりアニメはアニメのままで良かったような気がする。

それが・・・メインイベントで登場した黒タイツのアントニオ猪木でガラリと変わった。
あの時猪木の「強さ」を観て涙が出そうになった。でかい外人や怖そうな日本人相手にも「来い!この野郎!」とか言いながら当たっていく。親父がいなかった当時の僕には強さの憧れが一瞬で「裕次郎」から「なんだこの野郎!」の猪木に変った。「強さ」という概念がリングの戦いという形で観ているほうが僕にはかっこよく思えたのだろう。
猪木はこの頃、絶大な人気があった。
それからずっとプロレスを観た。特に猪木と藤波、長州の新日本プロレスは毎週観ていた。例え、嫌なことがあって泣かされても金曜日の8時に「猪木!猪木!」と応援して心をすっきりさせていた。そしてプロレスごっこをして相手に技をかけられてその痛みを知り「レスラーはやっぱりすごい !」とさらに憧れが強くなる。当時は外人レスラーも豊富だったし、藤波、長州などのスターも多かったので毎週ストーリーが激しく展開していたから面白かった。学校で勉強したことはきれいに浄化されているが今でもプロレスラーの得意技、本名、各地にある会場の名前、当時活躍していた記者の名前などほとんど覚えている。

猪木病感染
猪木はリングの上だけでなくプロレス以外でもあちこち話題を振りまいていた。当時ボクシング王者だったモハメッド・アリと異種格闘技戦をしたり、新宿のデパートでライバルレスラーに襲われたり(確かに今考えると居合わせること事態がおかしいが)、参議院議員に当選したり、イラクで人質を解放したり、北朝鮮でプロレスを開催したり、と世間を驚かせてきた。
僕はこういった猪木のプロレス外の活躍にも影響を受けていたので中学生の時に生徒会長に立候補して当選したのも実は猪木のようにトップに立ちたいという夢があったからだし、人を驚かせることを言い出したり、奇抜な行事や行動を取ったのも猪木の真似だった。今考えると完全に猪木病だったんだろうなあ。
休み時間にはマスクをかぶって仲間と戦い、赤い絵の具で額を赤くして次の授業中にはバンソウをしっかり貼っていたのだ。アホもここまでいくと誰も何も言わなくなる。
高校時代に留学したときも「世界戦略だ」とあきれるようなことを言っていたし、留学先のニュージーランドでは世界のスターであったホーガンと日本でしか有名じゃない猪木のどっちが強いか本気で外人と議論していた。
社会人の時も猪木だったらこうするだろうと常に想像して営業活動をしていた。しかしあえて人のやらないような事をやってきたことが結果として成功したことがある。それが前の会社で「全国営業マンコンクール優勝」と「社長賞」を受賞したことだろう。あのときはチャンピョンベルトを獲った気持ちだった。会社のPCの上には猪木と長州のフィギアが置いてあったが上司に一度も怒られなかった。今考えれば怒られないぐらい営業を動きまわっていたからだろうと思う。
今でも少しは影響を受けている。例えば10年以上も今も欠かさずウェイトトレーニングを続けているし人前でスピーチや挨拶を頼まれる時など「元気ですか!」と言っている。さすがに会議や株主総会などでは言えないが心の中では「いくぞ!」と自らの緊張を和らげようと叫んでいるのだ。

猪木から「原田」へ
昭和プロレスというのは昭和の頃に最盛期だった猪木、馬場、藤波、長州、タイガーマスク、前田日明やハルク・ホーガン、スタン・ハンセン、ブルーザーブロディ、ウォリアーズなどが活躍していた時代を指す。平成に入ってからはショー化と格闘技路線とスタイルを多く誕生し、さらに若手の台頭などで時代が急激に変化しているのであえて昭和と平成と線引きして話すファンが多いからこのような呼称になった。
猪木を批判する本、プロレスの裏話など今ではインターネットなどでも多く見ることが出来るがそんなもの読んでも仕方がないし、マニアであれば別に知っているよというようなものも多い。とにかくあの頃はみんなが楽しく見れたんだからどうでもいいと思う。
そういえば僕は7歳ぐらいの頃、デパート屋上のステージ裏で当時人気のヒーローゴレンジャーの青レンジャーがお面を取って座りながらジュースを飲んでいる姿を見てしまったがそれでも彼らには幻滅していない。

引退しても猪木は人気があるけれど最近はあえて見ないようにしている。
だが僕の人生はほとんど猪木などに支えられたのは間違いない。今まで生きてきた人生でやってきたことは猪木の真似が多い。しかしこれからは猪木から旅立ち「原田」として独立して動いていかなければならない。家族や社員、取引先など多くの人間を守る立場にいる以上やっぱり「破天荒」だけでは生きていけない。だが我が家には猪木以上に「怖い」伴侶がいるので皆様にご迷惑をかけないことだけは確かだが・・・。

次回は「島田洋七さんとの「がばい出会い!」」について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年7月に執筆されたものです

ページトップへ