九代目のひとりごと

12.日本の今も昔も ~その2~ 運命の金剛杖が私を決意させた 四国八十八ヶ所霊場巡りが夫婦としてのスタートだった  ~後編~

私達は徳島県に着いた。その日は徳島駅近くのホテルに一泊し翌日早朝に起き、駅のロッカーにトランクを預けカジュアルな格好で電車に乗り1番寺へと向かった。駅に着くと地図を見るまでもなく、私達と志が同じような身なりの男性の後をついていくと1番寺はすぐに見つかった。寺の道筋に大きな石柱があり「四国第一番」と書かれたそれを見て気が引き締まった。「いよいよだ」

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寺の横にお遍路さんの装束を購入できる売店があった。意気揚々と装束を揃えるべくその店に入って行ったのだが、この店を出るとき我々の気分は若干消沈した。なぜって驚いたことに、巡礼には結構コストが掛かるのである!四国まで行く交通費は当然だが、身支度として白衣、菅笠、輪袈裟、金剛杖、鈴、そして納経帳、納札、そしてこれらを入れる袋などすべてお遍路スタイルを揃えるとなると数万円掛かるのだ。これにはかなり驚いたが、ここで財布の紐をきつくしても何か罰が当たりそうだし、この際全て揃えようと決心。 そして・・かなりの出費にわずかに動揺しつつ巡礼の旅が始まった。

着替えを済ませた私達はお互いの格好に笑いながら本堂に入って行った。見知らぬ老人から「そこのお若いの!頑張ってな!」と声を掛けられ少々照れてしまった。そのせいでもないが本堂の中ではぎこちない動きの連続だった。手を合わせ経本を見ながらお経を唄い、札を納め、そして納経所で納経帳に御朱印をしてもらい(この寺に来ましたという証明になる)次の寺へと出発する。今回の旅行・・いや巡礼は11のお寺をまわると決めていたので時間配分などもしながら歩かないと日が暮れてしまい計画が乱れる。私達はガイドブックを手に次の寺に行く道すがら寺の由来や空海のエピソードなどを予習しつつ歩を進めて行った。

最初は次の寺まで1~2キロ程度の距離だったが、3番寺あたりから寺から寺まで5キロや10キロ、そしてまた2キロ、という具合に遠い距離や短い距離が交代で出てきて、段々ガイドブックに出ている距離を片目で見たりするようになったりし家内に怒られた・・。しかし歩き慣れない東京に住む私でもお遍路を経験するならやはり徒歩が一番だと実感。次の寺に行くまでの道が国道やアスファルトの道をなるべく使わせず「遍路道」として、整備された山のふもとやわき道などを歩かせてくれるのだ。ガイドブックにも徒歩用の地図はあるが、ところどころに「へんろみち保存協会」の看板があり(この看板が手作りで可愛らしいのだ。)白い板に赤く塗られたお遍路さんのシルエットが描かれており、分岐点には必ずこれらのものがあるので地図がなくても迷うことはない。

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「これら」と書いたがこのマーク、他にも「へんろ道」と書かれていたり、時にはそのシルエットだけが描かれたシールが電柱に貼ってあったりする。また江戸時代から残されているという石柱であったりもする。その看板を見ていると「お遍路さん、こっちの道だよ」と教えられ励まされているように感じてくる。そして道の脇に咲く花に感動し、すれ違う子供達や大人達が「こんにちは」と頭を下げてくる。地元の人たちはお遍路さんを温かく見てくれる。夫婦で歩きながら花を見、会話して、一緒に歌う。そのうち替え歌になり歩いているうちに替え歌も覚えて夫婦で歌えるようになっていた。都会では体験できないコミュニケーションのとりかただった。

宿泊はいつもその日最後に巡礼した寺で泊まった。着替えて風呂に入り、そして食事の時間。お坊さんが出てきて「お米を作ったお百姓さんに感謝しましょう」と祈りを捧げる。この祈りが気に入って自宅に帰ってから真似てみたが3日しかもたなかったのは反省すべき点である。祈りを捧げたあと私は1日で20キロ近く歩いたのに全てが無駄になるくらい食欲が止まらなかった。配膳のおばさんに「良く食べるね」と笑われた。そして夜はお坊さんの説法がある。説法も眠気を誘うかと思ったが翌日の英気を養うような話ぶりで寝ずに済んだ。(余談ではあるがどこかの寺の納付所の方と話しているうちに新婚旅行で来たと話したら「新婚旅行で巡礼なんて聞いたことないよ」と驚かれた。そして次の寺まで10キロ歩き到着した途端ノートとペンとカメラを持った青年に声をかけられた「徳島新聞ですが・・・」私達はさっきの寺の人が電話したのかと思った。階段を上りながら取材を受け我々は日刊紙に登場したというわけである。)11番の寺をまわり今回の巡礼は終わった。12番はお遍路にとって最初の難関で「遍路ころがし」といわれている。徒歩6時間の難所だ。

11番寺の奥に階段があり「12番」と書いてある。「待っていろよ、来年行くからな」と看板に向かって私は話しかけた。ちょうどお坊さんがいたので記念撮影をした。こうして私達の最初の巡礼は終わった。2日でトータル35キロ。よく歩いたもんだ。途中では夫婦喧嘩(お遍路の格好での喧嘩は今考えると笑える)もしたが、全てがいい思い出になった。余談だが巡礼後は松山に寄り道したのだが、偶然おたふくわたの看板を見つけ涙が出てきた。以前おたふクラブに書いた事がある。 「これは巡礼のご褒美かな」なんて思ってしまった。私は帰京後、道に立ててあった看板を作っている、へんろみち保存協会にお礼の手紙を書いた。後日お返事が来た。宮崎建樹さんという方が一人で協会を作りボランティアで看板を作っているらしい。凄い人物がいるものだと感激した。 さて今年も秋になったら行こうと思う。今度はどんな巡礼になるのか楽しみだ。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2004年5月に執筆されたものです

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