九代目言聞録

27.小学校ブーム~親友だった歌舞伎俳優F君との再会・・・・~

10年前の悲しい再会
 一昨年の正月にF君と小学校の卒業以来2度目の再会をした。彼は大人気の歌舞伎俳優である。しかし僕は小学校1年から彼と本当に親しかったので今でも「有名人」という感じがあまりしない。しょっちゅうテレビに出ていたり舞台に出ていたりしているが同級生というイメージが強すぎて「あいつも頑張っているなあ」という程度である。

 最初の再会は今から約年前。20代半ばの頃である。三越劇場で彼が主役の舞台がありそれをたまたま何かのチラシで知りなぜか急に会いたくなり観に行った。僕は前の会社で営業マンとして上司や取引先から毎日鍛えられていた時期で毎日が刺激的だったのだが彼に会って僕も元気に頑張っている姿を見せたかったのかもしれない。

小学校の頃から実に15年ぶりの再会だった。楽屋で会った瞬間、懐かしくてお互い感激して握手をした。しかし・・・絶え間なくマスコミや客が楽屋外で並んでいたのでたった数分しか話せなかった。あの別れ方は今でも良く覚えている。僕の記憶は「小学校の親友」のままだが環境が変わり彼はもはや遠くに存在してしまったような気がした。当時の事務所スタッフに促されて僕は楽屋を出た。悲しい再会だった。ああ彼にとってはあの頃は単純な過去なんだなあと思いながら帰路についた。こんな悲しい気持ちになるなら会わないほうが良かったとさえ思っていた。

 しかし2年前に再会したときはそうではなかった。それは父が生きている頃から40年以上も親しくさせて頂いているご近所の歌舞伎俳優Sさんが主演している歌舞伎を正月に家内と2人で観にいった時のこと。その芝居にたまたまF君が出ていてSさんがいる楽屋の2部屋先ぐらいに彼の楽屋があった。僕は年前の事を思い出し、さらに彼との距離を感じてしまうのも何となく嫌だったので再会はやめておいた方がいいだろうと思った。家内は僕がF君と同級生であることは知っていたが年前の再会について話したら呆れた顔で「小学校時代の親友だったんでしょ?年前も今もF君は多忙極まりないから仕方ないじゃない。びくびくしていないで堂々と行きなさいよ!」と背中を押されて僕は入り口まで行った。突然の訪問に入口にいた事務所の女性の方が驚いた様子だったが彼は休憩中で不在だと言い一応名前だけ伝えておいた。そして僕達夫婦は席についた。

1部が終わり休憩で席を立とうとした時、さきほどの女性が小走りで僕らの横に来た。「芝居が終わったらぜひ会いたいそうなので楽屋に来てください!」家内は僕に「それみたことか」という顔をしていた。ふうん君のおかげだよ、でもまたすぐ帰ることになるよ。と僕はネガティブに答えた。

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というわけで2回目の彼との再会。来客も何組かいたが最後に私達夫婦を案内してくれた。もしかすると彼は10年前の事を覚えていたのか。
「おお、やっぱり原田はいつまでたってもあのままだ。」と彼はまた握手をしてきた。化粧を落としながら彼は僕の近況を色々聞いてきた。考えてみれば1回目の再会と環境が変わり、お互い結婚し、同世代の子供も持ち、僕は家業を継ぎ偉大な先代を超えようと日々活動している・・・以前と比べ彼とはそれなりに共通点が増えていた。前回と違い楽屋でゆっくりと話せる事が出来た。彼から次回の芝居を招待され連絡先の名刺や携帯電話もくれた。

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写真でもいつも
横にいた・・

いつも一緒にいた
ぴかぴかの小学1年生の時、同じクラスで最初に仲良くしたのがF君だった。まだ彼は舞台デビューもしていなかったしもちろん有名歌舞伎俳優の息子だなんて事も知らない純粋な出会いだった。僕達はいつもいつも一緒にいたのだ。彼が舞台に出るようになっても下校後に彼と歌舞伎座に行き花道や舞台裏をきゃっきゃっと言いながら走り回っていた。学校で毎日会うのに電話でも長く話したりしていた。僕が通うピアノ教室なんかにも彼はついてきたりしていた。お互いの自宅に呼び合うことも多かった。
彼と下校時にバスに乗ると年配の人たちが彼であることに気が付き声を掛けてきたり近寄ってくる、またハンサムな彼に同世代の少女達が近寄ってくる、僕はまるでボディーガードのように彼の前に立ち守っていた(笑)よくコンパで美女の横にぴったりくっついいているコワモテの女性がいるがあんな感じだ。
彼が乗り換える「青山一丁目」というバス停で一緒に降りて青山ツインタワー裏にある滝が見えるテラスに座り長い時間話していた。色々思い出があるがあのテラスで一緒にいたことが一番良く覚えている。

 だが6年生の頃、僕らの関係に距離が出来た。彼は真面目で努力家だったので勉強も良く出来た。歌舞伎があるのでしょっちゅう早退していたにも関わらず成績が抜群に良かった。僕は3年生の終わりに大好きだった父が死にそれ以来全く勉強しなくなり、少し荒れていた。F君とはそれでも仲が良かったが5年生の終わりごろから彼は歌舞伎の出演も増え一緒に下校することが自然と減りさらに僕は悪ガキ軍団と遊ぶようになっていたから彼と遊ぶこともめっきり少なくなった。6年生の頃そのまま同じ系列の中学に進学できるよう皆必死に勉強していたが僕は悪フザケにはまり結果、進学も出来ず(笑)とうとう卒業後は姉妹校の全寮制の学校に行った。卒業前にサイン帳に皆にコメントを書いてもらったが彼の文章を見て涙が出た。それはたわいもない文だけど僕はやっぱり彼が大好きだったんだとその時思った。しかし彼との交流はそれ以降なくなった。
2年前に再会した後、彼に招待され渋谷の大きな劇場に芝居を観にいった。入口には奥様がいた。初めてお会いしたが開口一番、うちの家内に向かって「2人は恋人だったみたいですね(笑)。主人も原田さんと再会したことが嬉しかったみたいです。」と話してきた。
恋人かあ・・・そう来たか・・。僕も笑ってしまった。
人気脚本家が書いた芝居とあって若い女性で席は埋め尽くされていた。子供を母に預け久しぶりに芝居を夫婦で見たが、お世辞抜きで面白かった。芝居の後、カーテンコールの時に僕はひとりだけ席を立ち上がって拍手をした。その時、主役の彼は舞台から僕に向かって指を指して親指を立てた。周りのお客達は少し驚いていた。そうだね、これじゃホント恋人だ(笑)粋なことするね。
 後日、芝居の後に彼と2人で飲みに行った。帽子を深く被って歩いていても、店に入っても「あれ?」と一般人に驚いた顔をされる。僕は席につくと「おい、また小学校の頃のように俺がお前の前に立とうか?」と言ったら彼は苦笑していた。それから数時間話し込んだ。懐かしい話やこれからの夢・・・「もう一杯飲む?」と僕が聞くと彼は一瞬悩み、そして「帰ろうっか」と言った。時計は夜中の1時を過ぎていた。そうだ小学校の時も「もう少し話そうよ」「駄目だよ、お稽古遅れるよ」と言って彼は帰った。同じだ(笑)彼は翌日も舞台があるしこの芝居は結構体を動かす。うんあきらめよう。僕たちはそれで別れた。
 その後、F君とは頻繁にメールをするようになった。彼が歌舞伎座で公演している時で僕が銀座で商談がある時は楽屋に行って話しを少ししに行くこともある。たまに夜遅くに電話が来ることもある。まだ彼と再会して2年ぐらいだが、彼は僕の数百倍忙しいからあまり会えないけれど電話は良くくれる。先日も彼に招待されて芝居を観にいったが偉そうに僕はメールで意見を書いた。
家族構成も子供の世代も偶然同じだから面白い。僕の息子もいつか彼の息子と追い掛け回すような仲になるのかなあ。近いうちに家族で会う予定だ。彼の頑張りを見ていると僕はまだまだ頑張らなきゃと思う。僕がいまどういう仕事をしているか、彼も良く知っているから商談が決まったり新聞やテレビ、ラジオに出るときもメールで応援してくれる。歌舞伎俳優とビジネスマン・・・お互いナンバーワンになろうね。僕も君ぐらい有名になってみせるよ(笑)。だから今日も綿ふとんを研究しそして多くの人が買ってくれるように頑張ろう。
そういえば彼は「原田は本名で呼んでくれる唯一の友達だ」と携帯電話の留守電に入れていたね。そうかあ・・・確かに周りから見れば彼は「有名歌舞伎俳優○△さん」なんだよね。もう彼を本名で呼ぶ人はあまりいないのかもしれないね。
案外、彼は僕にメールや電話をしていることで青山一丁目のあのテラスに一瞬戻ろうとしているのかなあ。今回のコラムは彼への恋文だ(笑)
次回は「腰痛ピンチ!おたふく助けて!」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年6月に執筆されたものです

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