九代目言聞録

30.プレーパーク自由主義~ここで泥んこにならないでどうする!?~

お稽古より大事なものがある
息子はもうすぐで5歳になる。僕も姉も通っていた自宅近くの同じ幼稚園に現在通っている。幼稚園は同じでも僕が通っていたのは30年前、確かにその頃体験してきた内容と息子が習う内容はかなり異なる。それは幼児教育というより明らかに「受験」を目指した英才教育的内容になっているのだ。
うん、確かに来年年長になる息子の周辺が騒がしくなってきた。それは親も幼稚園もいわゆる「お受験」ムードになってきているのである。あの塾は先生が優しい、どこ先生のお稽古に通うと何々小学校に有利らしい、だれ先生の塾はあそことつながりが深い・・・だの毎日のようにお母さん方から情報が入ってくるらしい。僕も家内も私立の学校に通っていたし一応事情は分かる。私立の利点もある。でも日常の時間をつぶして塾に行かせるまでして有名小学校に行きたいかなあと夫婦で感じている。
幸い2人とも海外に2年ほど留学して国外以外の学校生活も体験しているし学校に対する価値観は似ている。それはエスカレーター形式で進学するよりも勉強して自分で切り拓くほうが克己心を生むという考えだ。それに僕は進学校にいたのに最終大学は偏差値表で下から数行目の大学に通っていた。勉強を全くしなかった(笑)
恐らく僕は代々の中ではワースト1位の学歴である。自信をもっていえる。ちなみに僕の父は飛び級で東京大学に進学している。
なので僕の息子はラッキーである。親父よりいい大学といっても僕は大学ランキングで下から2、3番目だからそれを超えれば全部親父越えになるのだ(笑)楽だよ君は。
だけど社会人をしていると官僚でない限りほとんど大学を聞かれることはないし大企業でない限り学閥もない。日本の9割が中小企業なのだ。学閥なんて気にしてたら稼げないよ。それでもこうして生きていけるし商売も出来るのだ。
家内も息子を見て多少学ぶ必要性は感じているがだからといって缶詰のように毎日塾やお稽古を1週間びっしりすることはしていない。むしろ自由にさせているほうだ。僕たちはそんなことよりもっと大事なことがあると思っている。それは「外遊び」だ。

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えええ?夏休みに夏期講習に行く子もいたの?
そんなことかと思うなかれ、東京では外遊びをする子供を見ることが少なくなった。僕が小さいころは家の外に出れば冒険だった。いつものメンバーと近所の塀をよじ登ったり、空き地で野球をしたり、アスファルトにチョークで書いてけんけんぱをしたり、工事中の家に入ったりしていたものだ。しかし最近は物騒になり子供同士で遊ぶことが少なくなったし平日は先述の通り塾通いをしているので近所同士で遊ぶこともない。遊ぼうにも他人の塀にのぼれば叱られる。車の運転が荒く道路で遊べない。今の子供は塾から帰ればゲームに集中する。それじゃあどんどんもやしっこになる。
そこでかつて僕達がしていた遊びをどこかで体験できないかと見つけたのが「プレーパーク」である。休日は僕が、平日は家内が2人の子供を連れて行くようにしている。
プレーパークは各自治体が管理している子供の遊び場で機械で作ったいわゆる既存の遊具などは設置していないで子供がボランティアの人たちなどと手作りで遊具を作らせるのだ。そしてみんなで作ったお手製のすべり台やブランコ、ジャングルジムなどもあるのだが全て自分の責任で遊ぶということも教えているのだ。工具セットを借りて材木などで遊び道具を作ったりペンキを借りて塗ったりするのだが借りるのも返すのも親の手を借りずにさせるところも素晴らしい。

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泥遊び、砂遊びなんでも
しろである

プレーパークにいると自分の幼少の頃に近い遊びをしている。鬼ごっこや冒険ごっこ、木工や水遊び、皆が楽しそうな顔をしている。そこにはインターネットやDVDやゲームが全く存在しない空間。子供たちは精一杯遊んで汚れて帰ってくる。
そういえば最近、泥んこになる子供が少ないという。子供自身も嫌がるし何より驚いたのはおしゃれして公園に来たお母さん方が汚れたくないという理由で子供に砂場などに入れることを禁じるそうだ。何じゃそれはーーー?である。汚れたくないならカプセルの中で暮らせといいたい。
お父さんなども平日の仕事でへとへとの週末に子供と遊ぶ体力がないので公園に行って子供を勝手に遊ばせておいてメールをしているという。週末こそ自分がリーダーとなり童心に返り本気で遊ぶべきである。子供に尊敬の眼差しで見られるせっかくの機会なのにもったいないなあ。
僕はプレーパークへ行くと本気になってしまう。童心に帰り自分も真剣になった子供と遊んでいる。先日も息子と大好きなウルトラ警備隊のバズーカーを作った。
とんかちで釘を打ったり、木工ボンドをつかったり最後はペンキで塗り上げた。木工ボンドの使い方、よそ見をすればとんかちで指を打つこと、ペンキもうまく塗らないと指に沢山ついてしまう。そういう点に注意しながらで作ることが子供にとって大事だし覚えていくんだと思う。

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脱着式のバスーカー(笑)
単純だが息子は大事にしている

このバスーカーはおもちゃメーカーで立派なものを売っているのだ。しかし手作りで作れば達成感を味わえるし父親を博士のような目で見てもらえるのだ。息子は今でも大事に使ってくれる。おもちゃよりもストーリーがあるのだ。それは親と作ったおもちゃだからだ。特に夏休みにはプレーパークやサイクリング、海や牧場などにも連れて行った。
一部の幼稚園のお友達は受験の夏期講習に行っていたらしい。ええまだ4歳でしょ?子供も頭脳疲労になってこないかなあ。

2学期を過ごしてから園長先生に「夏休みの後から明るくて活発になった。」と言われたらしい。家内は夏休み期間中にこういった自然と向き合せてきただけなのだ。
子供にとって大事なことはペーパーテストではなく砂場や泥んこ遊びやプレーパークのルールなどではないか。友人の医者は「ひざを見れば分かる」と言っていた。
それは幼少でも沢山走ったり歩いている子の膝と運動していない子の膝は一目瞭然らしい。「自由主義」こそ子供の一番大事な教育だと思う。自分で考えさせることが大事だ。
体力がある、環境に慣れる、ルールを守る、調和を保つことはプレーパークでも学び大人になっても必要なこと。小学校の受験問題は社会人になって一度も経験していない。
基本をもう一度僕達は知る必要がある。
今年も沢山の人にコラムを読んでいただきました。ありがとうございました。
思えば復活する前から書き続け今年で7年目になりました。自画自賛ですが良くもまあここまで続けて書けたものです。
来年は少しスタイルを変えたコラムを書いてみたいと思います。皆様も良い年をお迎えください。
次回をお楽しみに!

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年10月に執筆されたものです

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