おたふくわた復活プロジェクト

6.中村畦碩学院長のパワー。88歳の偉大なる学院長

昨年の冬に私は昭和48年の開校以来3000人以上の卒業生を送り出した東京は板橋区にある「東京蒲団技術学院」を訪ねました。 この学校は蒲団屋さんの後継者を教育することを主にしているのですが、綿・合繊蒲団作りの実技だけでなく寝具店での経営のノウハウ、また寝具関係の教養や人間形成なども厳しく指導している有名な学校です。私は少々緊張した声で「お邪魔します!」と学校のドアを開けると2階のほうから「はい!ただいまお伺いします!」という若くて元気な声が聞こえてきました。しばらくすると一人の青年が階段から飛び降りるように私の前に現れ正座し深々と頭を下げながら「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。」と言って挨拶をするではありませんか。まるでどこかの高級旅館にでも来たような錯覚になりました。 私は社名と自分の名前と名乗ると「はい承知しております。」青年に案内され2階へと行きました。最近あまり見かけられない気持ちの良い素晴らしい応対振りにこの学校の「味」の全てを知ったような気がしました。

「やあやあ」と学院長室から姿勢がよい中村畦硯(けいせき)先生が出て来られました。学院長は開校以来今でも現役で生徒の指導にあたっておられます。勲三等をはじめ数々の賞を受賞しておられ、またテレビ番組にも何度か出演されている偉大な方なのです。この学院長80歳を超えていらっしゃると聞いていましたが、もっとお若く見えます。無礼な私は椅子に座るなり「学院長は御幾つになられたのですか!?」と聞いてしまいました。先生は笑いながら「来年で88歳になるんだよ。来年は米寿のお祝いをね、かつての卒業生が集まって開いてくれるんだ。それまで頑張るよ!」と大声で話されました。世間話をした後、私は綿について色々聞き始めました。

学院長は生徒さんが入れた緑茶をおいしそうに飲みながら「なぜこんなに綿が寝具で使われなくなったのか。それは綿を沢山売りたいという企業と綿を沢山入れて売りたいという蒲団屋さんの関係も原因だと思う。要するに重い蒲団を売る事が主流になっていた。」 と話しました。「綿ふとんイコール重いというのが世間では常識みたいになっている。羽毛が売れ始めたころ、綿ふとんも時代に合わせて軽いように工夫して作るべきだった」と強い口調で言いました。「今は羽毛とあまり変わらない重さの綿ふとんだってある。そもそも綿ふとんを重いと感じるのは我々の若い頃に比べ今の人たちは体力が低下している証拠だ。野球選手などのスポーツマンや定期的に運動をしている人は綿ふとんじゃなければ寝れないという人が多い。だから個人の体型や年齢に合わせて綿ふとんを作ればいい。程よい重さがあったほうが体力アップにもつながる」と強調していました。なるほど。

「自分の寿命がなくなるにつれ蒲団も軽くしていくんだよ。寿命がなくなる直前はガーゼだって重く感じるんだよ(笑)」と話す学院長の目は長年教育してきた自信があふれ出ていました。かつては年間数百人もの生徒がいましたが今では十数人にまで減少しました。それでも若い男性や女性が訓練所で一生懸命に座蒲団や蒲団を作っていました。中村学院長は生徒達を眺めながら「人間が生きている限り蒲団も絶対になくならない。だからそれを作る職人も絶対ゼロにはならない。だから1人になろうと私は教育を続ける。この学校は技術だけ教えているわけではない。重要なのはしっかりとした人間になることだ。いくら技術が良くても魅力ある人間にならなければ素晴らしい蒲団は作れない」と生徒に話しかけるような口調で私に話しました。最後に私が「どういう綿ふとんを作るべきですか」と聞くと学院長は私の顔を見て 「味噌汁と同じだよ。ダシがなければ旨味はない。蒲団にもダシがいる。掛け蒲団には軽いメキシコ綿だけではなく、そこに少しインド綿のような短繊維や ほんの少しの合繊などを入れて味を作るべきだと思う。だからどういうダシを作れば いいのかをこれからあなたは学ぶべきだよ」とおっしゃってくださいました。

人生の先輩方から「最近の若者は・・」という言葉を良く聞きますが、ここにいる生徒さんの目つき、やる気そして素直な姿は「最近の若者」ではないように思いました。
次回は「亡き祖父との再会」について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2002年1月に執筆されたものです

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