東京MXテレビ「未来展望~100年の計~」出演アーカイブ公開中!

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東京MXテレビ(9ch)にて好評放送中の「未来展望~100年の計~」に、おたふくわた9代目の原田浩太郎が出演させていただきました。

4月11日放送分の「100年企業特集!」にて、杉本食肉産業株式会社の杉本達哉社長と一緒にご紹介いただきました。

番組内では、おたふくわたブランド復活までの道のりや、「9代目の企画室」ラインなどのコラボレーションアイテムの開発、今後さらに加速させていく予定のアメリカでの展開などについてお話しています。

放送の模様は、YouTubeにもアーカイブされています。どうぞご覧ください。

◎百計オンライン(番組公式サイト)
https://hyakkei-online.com/archives/1397

◎YouTube 『未来展望~百年の計~』 出演:杉本食肉産業株式会社、ハニーファイバー株式会社
https://www.youtube.com/watch?v=NLLINKecI5Y

銀座・ハンズエキスポにて、おたふくわたの人気アイテム販売中!

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銀座のハンズエキスポ(東急プラザ銀座7F)にてオープンしていたおたふくわたのポップアップブースは7月31日をもって無事に終了しました。

商品をご購入いただいた方々はもちろん、ワークショップをとおして伝統的な座ふとんの魅力を感じていただいた親子の皆さんや、ブースで座ふとんの感触などを楽しんでいただいたたくさんの皆さんにも改めてお礼申しあげます。

なお、ポップアップブースは終了しましたが、ハンズエキスポではキャラクターグッズ売場にてひきつづきおたふくわたの商品をお買い求めいただけることになりました。
人気TV番組「アメトーーク」でも紹介され話題となったのび太のお昼寝座布団やプレゼントとしても人気のドラえもん座布団バッグなども、売り場にて手にとってご覧いただけます。
プレゼント選びなどでお近くにお越しの際は、ぜひハンズエキスポへお立ち寄りください。

◎ハンズエキスポ(東急プラザ銀座7F)
https://hands-expo.com/

32.ついに完成!おたふくわたのオリジナル綿いよいよ販売に向けて動き出します

「武田社長、お願いします!」「分かりました。何とかしましょう。」
このコラムでも2回紹介しましたが、私のおたふくわたのオリジナル綿作りにずっと協力していただいている埼玉県のタケダふとんセンター「武田製綿」さん。
冒頭の会話は武田社長と前回訪問した別れ際に交わしたものです。私は超長綿で有名なある国の綿を使って掛けふとんを使う事がどうしてもあこがれでした。木綿ふとんの掛けふとんは通常アメリカやメキシコなどのいわゆる米綿(別名ヒルスツム スーピマは除く)が多く使用されています。米綿も綿の繊維が割りと細く軽くて肌ざわりがいいのですが、私はせっかく復活するのなら希少性がある綿がいいと思い、更に細くて心地いい綿はないのかと追求していました。国内に入ってくる多くの綿を見たり触ったりして顕微鏡で繊維の長短を調べました。とにかく消費者の「木綿ふとんは重い!」というイメージを変えていこうというのが私のテーマでしたから繊維が細く、しかもふとんにふさわしいものを探すのは容易ではありませんでした。そして1年近く研究した結果、私はふさわしい綿をようやく見つけました。ただ木綿ふとんとしては通常使うことがない国のものなので普通の製綿所では中綿として作りにくいのです。それは繊維が細すぎて機械のローラー部分にくっついてしまうからです。前回書いた時から武田社長は当社の元社員で現在は綿の商社にいらっしゃる方と二人三脚でこの綿の製品化を目指すべく機械の調整や研究を続けてくれました。
先日、綿の商社の方から電話があり「何とか出来そうだから一度工場に来て下さい」と言われました。私は不安と期待を持って工場に行きました。気のせいか私は武田社長と会った瞬間「何とかうまくやった」という満足感の顔に感じました。
そして私に玉綿を持ってきてくれました。「おお!」私は思わず声が出ました。前回の時はどこか不自然な形だった綿がきちんと野原さんが入れやすいような綿に仕上がっているではありませんか。それでも社長や綿の商社の人は「もう少しだね。綿の固まり(ネップ)がなくなればOKだ。」と言っていました。私は感動しました。他の有名メーカーなどの量に比べたら私のおたふくわた復活なんていうのは小さいロットなので量として武田社長のところでは一番少ない仕事だと思います。それでも武田社長は懸命に機械を調整したりして何とか私のわがままに応えようと日夜作業をしていてくれたのです。 画像を見ても分かりますが通常の高級米綿に比べてかさがあるのが一目瞭然です。
私は武田社長に深く頭を下げて感謝の気持ちを伝えました。
後日野原氏にこの綿を送って試作品作りをお願いしました。「うん、いいですねこの綿。繊維が細くて大変ですが頑張ってみます」と言ってくれました。
この試作品が出来たらいよいよ社内検討になります。そして側地の色柄を決めていよいよオリジナルのおたふくわたふとんが復活します。
最近木綿ふとんが世の中で見直されてきています。私たちの下着やシャツそしてタオルは今でも木綿がダントツで使われています。また皮膚アレルギーの方には木綿手袋などがいいといわれています。木綿は自然の恵みから出来たものなのでカラダに悪いはずがありません。木綿ふとんだけが「重い」「干すのが面倒」「冷たい」などのイメージのせいで居場所がどんどんなくなりました。しかし木綿ふとんはまた必ずイメージを変えれば戻ると思います。そうです木綿の「かさ」のように回復するはずです。

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左が市販されている高級クラスの米綿、右がおたふくわたオリジナルの綿です。
かさの高さに違いがあるのが分かります(重さはほぼ同じです)

次回はいよいよ「おたふくわた」の復活について書きます

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年6月に執筆されたものです

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31.ホームページのアンケートで気がついた木綿ふとんへの注目度

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現在弊社のホームページにある懸賞アンケートですが、実は立ち上げ当初はあまり回答なんて来ないだろうなと期待せずに作っていました。ところが口コミやインターネットでのサーチエンジンのおかげで徐々にホームページのアクセスも増えてそのおけがで今では毎日皆さんから必ずアンケートが来るようになりました。
現在は寝具を販売していない弊社がこういった寝具に関するアンケートを取っている意味が分からなかったようなのですが皆さん真剣にホームページを読んで下さっているようで 「寝具復活頑張ってください」、「木綿ふとんで寝てみたくなりました」などの励ましの声が多くなってきました。本当にありがたいものです。
ところでこのホームページのアンケートを取っていた事で分かったのですが実は10代、20代などの若い人たちでも「木綿ふとん」と言う言葉や「打ち直し」という言葉を知っているのです。これは私にとっては驚きでした。寝具業界の統計資料などを見るとこのような世代は現在圧倒的に羽毛ふとんや羊毛ふとんなどを利用しているので木綿ふとんなどあまり見かけてないはずなのにと思っていました。しかしアンケートを調べているうちにこのような世代も木綿ふとんで寝たことがあるというのがいくつかありました。実家や幼少の頃に木綿ふとんで寝ていたのだと思います。また両親が今でも使用しているというような意見もありました。ではこのような世代が木綿ふとんが嫌になっていったのかというとそうでもないのです。というのは木綿ふとんに対するイメージという質問に対して「日に干して取り込んだお布団の中でのうたた寝は最高」とか「ちよっと重たいかな。だけどその重さがすきです」などの意見が多くあったのです。メールでの問い合わせなども照らし合わせるとこれは購入できる場所が減っている事が考えられます。またお店に行けばご自分で木綿ふとんを作っている方が減っていたり、メーカーとの関係などから羽毛ふとんが多いなどの理由があると思います。
私はこのアンケートを見て「木綿ふとんも良い品質のものならきっと売れるはずだ」と確信しました。一切他のものを混ぜないで綿だけで作る。江戸時代から作られてきたこのスタイルをもう一度私はやろうと思います。動物アレルギーの人、そして綿の匂いが好きな人などアンケートで多く答えてくれました。確かに木綿ふとんに対するイメージで「重たい」「冷たい」の意見もありました。これが圧倒的に多ければ私は綿ふとんを売ることを考え直そうと思っていたのです。こちらが夢見て作っても消費者が振り向かなければそれはただの自己満足で終わってしまいます。ですがこの多くのアンケートの中でも木綿ふとんに対する好感が決して少なくなかったことで私は木綿ふとんに絶対の自信を持ちました。
そして先日寝具業界紙で有名な「寝装リビングタイムス」には「木綿ふとんが近年自然志向の高まりとともに綿ふとんの良さを見直す動きが見られる」と書いてありました。 本当はすぐにでも売りたいのですが(笑)やはり一度やめている事業ですのでここは慎重にいこうとは思います。皆さんにきちんと発表できるようにするまであと少し時間がかかりそうですが宜しくお願いします。

次回は竹田製綿さんへ綿作りへのお願いで再訪問した事について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年5月に執筆されたものです

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30.僕が感動した「ヨシムラ的生き方」 ~涼しいところに行きたい理由から始まった北海道人生~

営業をしていると色々な場所へ出かける機会が多い。取引先との打合せはもちろん、パーティーや集会などでも魅力ある人と出会う。その中で最近のヒット作は「ヨシムラさん」との出会い。
ある取引先の社長宅で新年会が行われご招待を受けたのだが、入った瞬間ヨシムラさんに目がいった。派手とかじゃないのだが、不思議な存在だった。

顔は谷村新二系で黒いタートルネックを着ているのだがなぜか鬼の顔のバッジを胸につけていた。多分節分が近いからだろうけど、ユニークな人だ。靴下も「大衆食堂」と書いたものを履いていた。私は完全にヨシムラさんをマークした。

ヨシムラさんは北海道で生活しているのだが「北海道のどこにお住まいですか」と聞くと平然とした顔で「バスの中です」と返答してきた。

10年以上前にご夫婦で「東京は暑いから北海道に旅行でもいこう」と話し、それから毎年北海道に行くようになり、自然の美しさ、人との出会い、数々の感動 を味わい、後にここに住みたいと感じるようになった。そして北海道で知り合った多くの方からの協力を頂き、「空いている土地」を譲り受け「廃棄処分してあるバス」も知り合いからもらいそこに住むようになったという。

写真を見たが広大な緑の中にぽつんと緑色のバスらしい建物が2台写っていた。写 真は竣工から完成までの作業を撮っていて、最初はバスの中の椅子や木枠などを外す解体作業からはじめ、さらに2台のバスをつなげたり、土を深く掘り下水道 を作るなど、まさに住宅改築の工程のように作業が進んでいる様子が分かる。そして最後に屋根の部分を白く、側面は緑色の塗装で完成させた。
奥さんと2人で作業したらしい。「変わった主人を持つと大変よ」と奥さんは言っていたがその奥さんも笑顔で土を掘ったりバスの中を解体している姿が何枚も写っている。
「これが寝室、ほら窓が見えるでしょ?一番後ろの席のとこを改造したんですよ。ここから入る太陽が目覚まし時計なんですよ」確かにバスの後部座席の窓枠の面影がある。
「あっここは以前は運転席。上に棚があるでしょ。これはそのままにしてあるんですよ」
写真では台所になっていた・・・。

ヨシムラさんは別にお金に困ってない。ただ「都会に飽きちゃった」だけの理由で越したのだ。さらに電話もテレビもパソコンもないそうだ。身内や知人がヨシムラさんと連絡を取りたいときは電報で連絡しているらしい「デンワクダサイ」・・・。

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生活はレトロかもしれないがヨシムラさん自身を見ていると「NEW」な雰囲気を持っている。おいしそうにお酒を飲みながら「楽しいですよ。年とったせいでやっぱり冬は寒いんで、東京に戻ってきます」あっ冷暖房も当然付けてないんだ・・・。

私はなんだかうらやましいと思った。突然奥さんと北海道にいきバスの生活。ヨシムラさんから見たら私達の生活こそ異空間に見えてきているのかもしれない。

携帯?ネット?ファッション?株?ヨシムラさんには「SO WHAT!?」なのかもしれない。それでもこうして顔色も目もぎらぎらして、元気に生きている。

とうとうヨシムラさんの職業や住所を聞かなかった。でもまた会えるような気がする。

一度バスの中で泊まりたいものだ・・。

当然このコラム読んでないですよね・・。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年2月に執筆されたものです

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30.プレーパーク自由主義~ここで泥んこにならないでどうする!?~

お稽古より大事なものがある
息子はもうすぐで5歳になる。僕も姉も通っていた自宅近くの同じ幼稚園に現在通っている。幼稚園は同じでも僕が通っていたのは30年前、確かにその頃体験してきた内容と息子が習う内容はかなり異なる。それは幼児教育というより明らかに「受験」を目指した英才教育的内容になっているのだ。
うん、確かに来年年長になる息子の周辺が騒がしくなってきた。それは親も幼稚園もいわゆる「お受験」ムードになってきているのである。あの塾は先生が優しい、どこ先生のお稽古に通うと何々小学校に有利らしい、だれ先生の塾はあそことつながりが深い・・・だの毎日のようにお母さん方から情報が入ってくるらしい。僕も家内も私立の学校に通っていたし一応事情は分かる。私立の利点もある。でも日常の時間をつぶして塾に行かせるまでして有名小学校に行きたいかなあと夫婦で感じている。
幸い2人とも海外に2年ほど留学して国外以外の学校生活も体験しているし学校に対する価値観は似ている。それはエスカレーター形式で進学するよりも勉強して自分で切り拓くほうが克己心を生むという考えだ。それに僕は進学校にいたのに最終大学は偏差値表で下から数行目の大学に通っていた。勉強を全くしなかった(笑)
恐らく僕は代々の中ではワースト1位の学歴である。自信をもっていえる。ちなみに僕の父は飛び級で東京大学に進学している。
なので僕の息子はラッキーである。親父よりいい大学といっても僕は大学ランキングで下から2、3番目だからそれを超えれば全部親父越えになるのだ(笑)楽だよ君は。
だけど社会人をしていると官僚でない限りほとんど大学を聞かれることはないし大企業でない限り学閥もない。日本の9割が中小企業なのだ。学閥なんて気にしてたら稼げないよ。それでもこうして生きていけるし商売も出来るのだ。
家内も息子を見て多少学ぶ必要性は感じているがだからといって缶詰のように毎日塾やお稽古を1週間びっしりすることはしていない。むしろ自由にさせているほうだ。僕たちはそんなことよりもっと大事なことがあると思っている。それは「外遊び」だ。

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えええ?夏休みに夏期講習に行く子もいたの?
そんなことかと思うなかれ、東京では外遊びをする子供を見ることが少なくなった。僕が小さいころは家の外に出れば冒険だった。いつものメンバーと近所の塀をよじ登ったり、空き地で野球をしたり、アスファルトにチョークで書いてけんけんぱをしたり、工事中の家に入ったりしていたものだ。しかし最近は物騒になり子供同士で遊ぶことが少なくなったし平日は先述の通り塾通いをしているので近所同士で遊ぶこともない。遊ぼうにも他人の塀にのぼれば叱られる。車の運転が荒く道路で遊べない。今の子供は塾から帰ればゲームに集中する。それじゃあどんどんもやしっこになる。
そこでかつて僕達がしていた遊びをどこかで体験できないかと見つけたのが「プレーパーク」である。休日は僕が、平日は家内が2人の子供を連れて行くようにしている。
プレーパークは各自治体が管理している子供の遊び場で機械で作ったいわゆる既存の遊具などは設置していないで子供がボランティアの人たちなどと手作りで遊具を作らせるのだ。そしてみんなで作ったお手製のすべり台やブランコ、ジャングルジムなどもあるのだが全て自分の責任で遊ぶということも教えているのだ。工具セットを借りて材木などで遊び道具を作ったりペンキを借りて塗ったりするのだが借りるのも返すのも親の手を借りずにさせるところも素晴らしい。

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泥遊び、砂遊びなんでも
しろである

プレーパークにいると自分の幼少の頃に近い遊びをしている。鬼ごっこや冒険ごっこ、木工や水遊び、皆が楽しそうな顔をしている。そこにはインターネットやDVDやゲームが全く存在しない空間。子供たちは精一杯遊んで汚れて帰ってくる。
そういえば最近、泥んこになる子供が少ないという。子供自身も嫌がるし何より驚いたのはおしゃれして公園に来たお母さん方が汚れたくないという理由で子供に砂場などに入れることを禁じるそうだ。何じゃそれはーーー?である。汚れたくないならカプセルの中で暮らせといいたい。
お父さんなども平日の仕事でへとへとの週末に子供と遊ぶ体力がないので公園に行って子供を勝手に遊ばせておいてメールをしているという。週末こそ自分がリーダーとなり童心に返り本気で遊ぶべきである。子供に尊敬の眼差しで見られるせっかくの機会なのにもったいないなあ。
僕はプレーパークへ行くと本気になってしまう。童心に帰り自分も真剣になった子供と遊んでいる。先日も息子と大好きなウルトラ警備隊のバズーカーを作った。
とんかちで釘を打ったり、木工ボンドをつかったり最後はペンキで塗り上げた。木工ボンドの使い方、よそ見をすればとんかちで指を打つこと、ペンキもうまく塗らないと指に沢山ついてしまう。そういう点に注意しながらで作ることが子供にとって大事だし覚えていくんだと思う。

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脱着式のバスーカー(笑)
単純だが息子は大事にしている

このバスーカーはおもちゃメーカーで立派なものを売っているのだ。しかし手作りで作れば達成感を味わえるし父親を博士のような目で見てもらえるのだ。息子は今でも大事に使ってくれる。おもちゃよりもストーリーがあるのだ。それは親と作ったおもちゃだからだ。特に夏休みにはプレーパークやサイクリング、海や牧場などにも連れて行った。
一部の幼稚園のお友達は受験の夏期講習に行っていたらしい。ええまだ4歳でしょ?子供も頭脳疲労になってこないかなあ。

2学期を過ごしてから園長先生に「夏休みの後から明るくて活発になった。」と言われたらしい。家内は夏休み期間中にこういった自然と向き合せてきただけなのだ。
子供にとって大事なことはペーパーテストではなく砂場や泥んこ遊びやプレーパークのルールなどではないか。友人の医者は「ひざを見れば分かる」と言っていた。
それは幼少でも沢山走ったり歩いている子の膝と運動していない子の膝は一目瞭然らしい。「自由主義」こそ子供の一番大事な教育だと思う。自分で考えさせることが大事だ。
体力がある、環境に慣れる、ルールを守る、調和を保つことはプレーパークでも学び大人になっても必要なこと。小学校の受験問題は社会人になって一度も経験していない。
基本をもう一度僕達は知る必要がある。
今年も沢山の人にコラムを読んでいただきました。ありがとうございました。
思えば復活する前から書き続け今年で7年目になりました。自画自賛ですが良くもまあここまで続けて書けたものです。
来年は少しスタイルを変えたコラムを書いてみたいと思います。皆様も良い年をお迎えください。
次回をお楽しみに!

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年10月に執筆されたものです

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30.野原氏と作るおたふくわた

不況の影響は寝具業界にも直撃しています。かつては人気商品であった羽毛ふとんも国内での普及率は100%近くになってしまい、多機能寝具も各企業とも企画を立てて色々と頑張っていますが革新的なものはあまり見当たりません。企業のトップ達は「これから何を売っていいのだろうか」と悩んでいるのが現実です。
弊社が寝具業をやめてから6年になります。木綿ふとんをもう一度売りたいと考えるのは確かに時代の逆を行っているのかもしれません。それでも私はかつて日本中が使っていたシンプルな寝具である「わた」にこだわっています。こんなに優しい天然繊維はないと思っています。私がお世話になっている野原氏もそう考えています。氏は会うたびに「羽毛ふとんは確かに軽いですし便利です。でも木綿の良さにはかなわないと思います。私はね木綿が元々好きな人は更に大事にしていきますが羽毛しか知らない人たちに木綿を教えてあげたいんです。振り向かせたいんです」と話されます。
野原氏は父親の後を継いで30年近く経ちますがお店も順調に経営されていて、また今でも木綿ふとんの注文が多いのには本当に頭が上がりません。
野原氏はお客様を大事にされそして親身になって話をします。「どうやって寝ていらっしゃるのですか」「持病は何かありますか」と寝具を買いにくるお客様のソリューション活動を懸命に行っています。そして個人の環境や体型に合わせた木綿ふとんを作ります。「フローリングのお客様もいれば畳のお客様もいます。同じ木綿でも入れ方や量が変わるのは当然です」と氏は言います。そして「一番大事なのは購入前ではなくて購入後です。アフターケアをしなければお客様は離れていきます。目安が分かるように打ち直しの時期をラベルに貼ることや。購入後の綿の調節や睡眠の悩みなどを聞いたりしています。でもおかげさまで木綿ふとんに関するクレームはこの30年で1、2件ぐらいしかありません。クレームといっても大げさなものではなく綿の入れ方や打ち直しで解決していますが」 と氏は自信に満ちた顔で話されました。 私は自分がふとんを売るとき考えていたスタイルが野原氏に共通していることや氏が作った木綿ふとんは本当に素晴らしいものであることを考えると関東では野原氏が自分にとって一番理想的な職人さんであるように思っています。また野原氏は「わた」の研究や普及に対するモチベーションが非常に高いことが私の心に響いてきます。この辺りは名古屋の丹羽氏と共通している部分ではないかと思いました。現に丹羽氏は以前「関東でふとんを作ってもらうなら野原氏が一番いいです」と話していました。技術が素晴らしいというだけでなく、綿に対する愛着心、そして寝具に対する研究熱心さ、業界を活性化させていこうという向上心などが丹羽氏にも伝わっていたのだと思います。
私はおたふくわたの木綿ふとんを野原氏に作ってもらおうと考えています。前回も書きましたが弊社はかつてのように工場や大量の職人さんを雇う体力もないしまたそれをあえてしようとは思いません。天保時代の創業のように私だけで小さいふとん屋さんみたいな形で復活しようと思います。ただ、売る以上は最高の綿を最高の職人さんで作っていただいて、そしてお客様に親身になって対応していくスタイルで復活しようと思います。だから私は野原氏に「おたふくわた」のふとんを協力してもらいたいと思っています。 綿に対する愛情が深い人で作るふとんは絶対に違いがあります。

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左が野原氏、右が私です。
野原氏におたふくわたのふとん復活を
手伝ってもらいたいと思っています。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年5月に執筆されたものです

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29.復活劇よりも結果を問われる2006年 ~今年もおたふくわたは「独自路線」でいく~

突然だが、かつて小泉首相は「変人」呼ばれされていることについて「変な人ではなく変革の人という意味があるのでしょう」とサラリと答えた。おたふくわたも業界内外で「異端的」な目で見られているようだ。だがそれはわが社にとってはむしろ喜ばしいと考えたほうがいいかもしれない。個性的な会社だと認めてもらっているようなものだからだ。

さて、新年を迎えたと思ったら、あっと言う間に中旬になった。「時」が高速化していると言ってもいい。内外色々な出来事が日々起きて、すでにこの「今」が遠くへ過ぎ去ろうとしている。

おたふくわたも復活して今年の9月で4年目を迎えることになる。ということは、もはや我々の復活劇は過去の話になっている。復活の経緯を話して新聞、雑誌で取り上げてくれる時代はすでに終了している。今では「どこにも負けない綿ふとんに対する熱い思い」を話したほうが人々は興味を持ってくれる。

同時にそろそろ結果を問われてくる時期でもある。「復活?で今はどうなんだ」と 言うことになる。これで全く売れていなかったらお涙頂戴の話で終わりもはや綿ふとんの商売は趣味の世界に行くことになる。だが・・・現在予想に反し売上は 年々伸びている。確かにまだ他人に自慢出来る数字ではないがそれでも前年度対比で1.5倍近い数字は出している。今年も大きい勝負を仕掛けていこうと思 う。

まずは「新商品の発表」がある。復活してから今まで私が研究し続けていた事、それは「ふとん綿に合う究極のふとん生地」である。あたかも中綿自身が喜ぶような生地が国内にはまだまだあると信じあちこち時間が許す限り生地巡りをした。その中で素晴らしい生地に出会いそれでふとんを作ることにした。私の理想に近いふとんである。

だがここで立ち止まるのではない。私はさらに究極の生地を求めて歩き続けるはずだ。数年かけてまたそれらは見つかるかもしれないし、何十年かかるかもしれない。

今回の生地でふとんを作ることにより業界内外でもなかなかお目にかかれないすばらしい出来栄えのふとんが出来あがった。あえて他のメーカーがしないことを自ら進んで実現させたものである。2月の正式発売で読者も驚くはずだ。

さらに2月には創業祭として記念オペラコンサートを行う。ふとんとオペラ・・このつながりが面白い。だが、オペラも綿ふとんもどちらも伝統的なものであり、その伝統をさらに広めて人々により定着してもらいたいという考えは意外に距離が近い。

こうした異文化同士が組めば新たな裾野も広がる。いつまでも同じ村の中で普及活動や宣伝活動をしていても仕方がない。オペラファンが綿ふとんを知り、綿ふとん愛好家がオペラを好きになる。そういう広がり方も面白いと考える。

現在あちこちで宣伝をしているが今後も定期的にこのようなイベントは行っていきたい。

そしてホームページもフルモデルチェンジする。新商品発売と同時に全く新しいデザインになる。心機一転の決意である。さらに百貨店の催事、講演会、実演会など色々とスケジュールも決まってきた。これらも新しい試みで色々行っていくつもりだ。昨年の同時期では考えられないぐらいの忙しさだ。

確かに他のメーカーなどと違う方向へ歩き出しているかもしれない。だが他と同じ道を歩むことは進歩ではなくただの模倣の道を歩むだけだ。「綿のふとん・・・それは人々に一番優しい繊維」という理念があれば私達の動きはむしろ正しいと考える。

業界がしてきた販売や取引方法を変えて新しいやり方で商談を増やしていくはずだ、その結果が今年、来年にかけて出てくるはずだ。

今年のおたふくわたをぜひ期待してほしい。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2006年1月に執筆されたものです

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29.催事感動物語~催事の主役は僕らやバイヤーではなくお客様と販売員だ!~

日本橋交差点で歩きながら泣いた
いやあ嬉しい。今年はおたふくわたが復活して過去最高の催事数である。すでに8店舗で開催させて頂いた。新着情報にもご案内しているが年内あと3つ催事が予定されている。以前ここのコラムでhttp://otafukuwata.com/wp/?p=410書いたが実はここに書いた有名百貨店とは「髙島屋」の事である。この時は商談が実現出来るとは思っていなかったが昨年秋、いつものようにNバイヤーに会いに行ったとき突然、僕の顔を見て「一回ぐらいやってみるか。おたふくわたの催事を。数字は大して期待していないから(苦笑)とにかくやってみなよ」と言ってきたのだ。心底から感情があふれんばかりに嬉しかった・・・。バイヤーに帰り際「あなたの情熱に負けたよ。」と一言言われた時、僕は足が震えていたのを覚えている。
コラムでは明るく前向きに書いていたけど、2年間、先の見えない商談を続けていた僕は取引が実現したことで継続することの大切さを痛感した。あきらめずに続けること。
昨年、横浜髙島屋の催事が決まったとき僕は日本橋の交差点で人目憚らず泣きながら家内に電話をした。嬉しさで義父にも義兄にも母にも電話をした。いやあいい歳して感情はガキのままである。
催事1回目の店舗は昨年11月の横浜髙島屋である。開催は1週間行われたが突然のおたふくわたの登場に売場もお客様も驚いた表情だった。開催して数日間はどうしようもないぐらい売れなかった。だが最終日が近づくと不思議と売れ出した。お客様は初日から様子を見ているのだ。そして考えた末にもう一度足を運んで買ってくださるのだ。有難いことである。
昨年、横浜髙島屋で予想以上に販売できたことで僕は多少自信を持てた。木綿ふとんは根強い人気があることを知ったのだ。今までも催事はあったが横浜髙島屋は九州と違いおたふくわたの知名度が高くない。それでも結果的に健闘した。だからこのような厳しい条件の中で1週間立って僕は色々なことを学んだ。僕も社員もその経験のおかげで、他の百貨店やショップの担当者に会うとき前向きに催事について話せるようになった。だから今年は過去最多の数になったのだろう。横浜髙島屋の催事はおたふくわたにとって大きな転換期だった。それは営業で肝要なことは「現場で売ること」だということ。
通販でもインターネットでもふとんを購入することは出来るがそれは僕達が売場に立って販売することが前提に成り立つ。お客様の顔を直接見て売ることが1番大事である。この感覚を学ばないと机に向かってどんな企画をしてもふとんは1枚も売れない。今年は催事を沢山開催させていただいたことで不思議と通販の商談も伸びているのだ。

催事で驚かれること
実際やってみて分かったが催事は本当に奥が深い。毎回立っている度に疲労困憊になり「もう2度と催事はやらない」と思い、催事が終わって1週間もすればまた社員と催事開催の企画であちこちに売り込みにいっているのだ(笑)実際は好きで仕方がないのだろう。
催事はお客様から直接声を聞ける。綿ふとんが好きな人はもちろん、ふとんに全く興味を持っていない人が通りがかりにさり気なく言う一言も僕らには貴重である。換言すれば「無料で体験できるマーケティングリサーチ」だと思う。

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野原さんが作り、僕(左端)がお客様と話す光景

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野原さんはどんなに人数が少なくても
手を抜かず懸命に作る、
だからまた声がかかるのだ。

当社の誰かが催事開催中ほぼ開店から閉店近くまで1名売場で立っている。
「木綿ふとん、欲しかったのよ!ああ嬉しい」といってご購入くださるのかと思うとすっと去っていくお客様、しつこそうな販売員(僕のこと)に引っかかったという怪訝な顔をしながら帰り際に突然「1枚ください」というお客様、小走りに来て数秒以内に購入するお客様、寝具マイスターの野原氏の実演に感激して購入くださるお客様、数日後にキャンセルをするお客様などなど・・・1週間で様々なお客と出会える。営業に「パターン」はない。本当に意外なところでNGになったり売れたりする。この体験は何百回やっても読みきれないものだと思う。1億人も人口がいれば1億パターンあると考えていい。だから僕は来年も声がかかれば催事をどんどんしたいと思う。
ところで最近売場の販売員の方に教えてもらったのだが、催事で1週間丸々メーカーの人間が出るのはめずらしいと聞いた。大体寝具売場の催事は出るメーカーが決まっているのだが来ても1日売上の状況を聞きに来たり週末の実演会などで立会いしている程度だそうである。開店から閉店まで立っているのは僕らぐらいらしい(笑)暇人ということか。

まだ世の中捨てたもんじゃないよ!
しかしこのスタイルが売場の販売員の皆さんに受け入れてもらえるのだ。1日繁忙時間というのは大概決まっていて12時ぐらいから15時ぐらいがピークなのだが僕らは暇な時間帯でもずっと立っている。だから販売員の皆さんが「頑張ってるね」「休憩にいけば?」
「手伝いましょうか」と沢山声を掛けてくださるのだ。数日経つとお客様を誘導してくださるようになる。
最近もこういう体験があった。野原さんの実演会があったある日曜日、同じフロアで人気料理研究家のトークショーと料理実演のイベント時間が微妙に重なったのだ。あちらは15時でこちらは14時半、僕はお客様がほとんどその人気料理家に行くことを覚悟していた。TVに良く出ている人なので実演会場の前には沢山の椅子が用意されていた。売場のマネージャーもそちらの対応に追われていて話をする余裕もなかった。僕一人だったら何てことはないのだが不安になったのはわざわざ野原さんが片道3時間で来てくださり、しかも普段中々見ることが出来ないふとん作りをしてもらえるのにお客様がゼロだったら野原さんのこつこつとふとんを作る姿が悲しく思えてきてしまうからだ。いや大げさに書いているのではない。あの場所では本当にゼロもありえたのだ。でもそれでもいい、僕は前向きに考えた。野原さんには悪いことをしてしまったが今後催事をするときは同じフロアのイベントも全て知れということをその場で学んだのだ。
僕が申し訳なさそうに「誰もいませんが・・始めてください」と言うと野原さんは嫌な顔一つせず、むしろ笑顔で「原田さんの為の勉強会ということにしましょう」と言って淡々と作りはじめた。
しかし・・・野原さんが作ってから数分してから人がぽつぽつと目の前に現れ始めた。
最初はなんと僕が大学時代にお世話になった教授が家族を連れて来てくださった。
ええ、催事をする前にメールしたのだが覚えてくださっていたのだ。嬉しいなあ。ところが・・気がつけば数十人になっていた。驚いた僕は人の流れを見て驚いた。なんとエスカレーターのそばで女性の販売員が一人ひとりのお客様に声をかけて僕達の場所を誘導しているのだった。「あちらで懐かしい綿ふとんの実演をしていますよ、あちらのトークショーの前に少しでもご覧になられてはいかがですかあ、めったに見ることが出来ないですよお」と言っていた。感動屋さんの僕はまた涙腺がゆるくなりはじめていた。驚いたのは見てくださっていたお客様の半数がトークショーにいかずそのまま野原さんのふとん完成を見続けてくださっていたのだ。そしてふとんが完成すると自然と拍手が起きたのだ。そして数人の方がはんてんやふとんをご購入くださった。こんなシーンめったに見ることが出来ない、感動の実演会だった。

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2人から3人、一時は30人に。最後は15人ぐらいが残ってくださっていた。

僕は実演が終わってから呼び込みをしてくださった販売員に御礼を述べた。売場担当が違うので1週間の催事で一度も話したことがない方だった。
「だってね料理は本で見たりすればいいけど(笑)。ふとんを作る貴重な姿を見せずに終わるなんてもったいないじゃない。前日もあの方(野原氏)は少ないお客様の中で一生懸命作られていたのよ。私も昨日の実演を見てこれは芸術だと思ったのよ(笑)だからお客様に声をかけたの」僕は何度も頭を下げて御礼した。
こういうことが度々起きるからやっぱり催事は止められないのだ。
催事が終わっても僕は各百貨店などに定期訪問している。ある百貨店では僕の顔がタレントの小堺一幾さんに似ているというので「あっ小堺君が来たわ」とあだ名までつけられている。あだ名はどうあれ、とにかく販売員の方々に僕達の顔を覚えてもらうことが大事だ。お客様から「綿ふとん」や「打ち直し」の問い合わせがあれば売場の皆さんは「あっ小堺君に聞いてみよう」となるからだ。
催事の主役はつまりお客様と販売員の皆さんということである。
次回は「プレーパーク自由主義」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年9月に執筆されたものです

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