おたふくわた復活プロジェクト

19.えっ?おたふくわた復活!?丹羽氏宅で理想の綿作りへ

私がハニーファイバーに入社してから1年と4ヶ月が過ぎましたがこの間色々な方のご協力で多くの寝具業界の関係者に会うことが出来ました。このコラムに紹介させていただいている方以外にも素晴らしい出会いや感動があり、私がここまで「わた」に力をいれられたのはこうした皆さんの応援があったからだと思います。その中で特にお世話になっている丹羽氏の協力でいよいよ私は自分の理想の綿作りをしてみようと決心がつき、夏の終わりごろに丹羽氏のいらっしゃる名古屋の熱田区まで行ってきました。最初にまず丹羽氏から各国の綿をおさらいする事になりました。

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さあいよいよ綿作りがはじまります

エジプト各地方、オーストラリア、アメリカ、和綿、インド各地方、ウィグル自治区、中米のニカラグア、ペルーなど同じ綿でも国によって品質がまったく違うことに改めて驚きました。同じ白い色をした綿でも微妙に色が違い、また赤や茶色といった色の綿もありました。驚きのあまり口をあけながら綿をさわっていると丹羽氏は大きな声で「さてそろそろ作業しますか」と学校のチャイム代わりに言葉を発しました。 いよいよ工場での授業が始まります。


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私が綿を巻いているところです。慣れてない姿です。

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綿の様子を見ている丹羽氏

丹羽氏の自宅から歩いて数十秒のところに工場があります。工場の2階には前回も書きましたが丹羽氏は空手の先生でもあるので空手道場があります。まずはそこで着替えです。髪の毛が落ちないに頭にタオルを巻き、そして綿ほこりが口に入らないようにマスクをしました。着替え終わり私は丹羽氏に自分で考えた綿のブレンド表を見せました。ふつう綿を作るときは一国のものを100%使うか、ポリエステルを混ぜます。中には8対2ぐらいの割合などで2カ国の綿を使うこともあります。私は一国の100%綿以外にも色々な国の綿をブランドしてみようと思っていたのでその表を見せたわけです。丹羽氏の指導で私はブレンドの割合などを少し変えてみました。電源を入れて機械が作動した瞬間「さあ自分で考えた綿がどんな品質になるのか」と興奮気味になっていました。 綿の様子を見ている丹羽氏 「いい経験だから自分でやってごらん」と言われて私は最後の綿のたたみを機械ではなく板でぐるぐる巻いていく作業をすることになりました。綿俵から取り出した綿は割りと硬くなっているので機械でまんべんなくほぐしていかなければいけません。そして綿を梳いていくのですが同時に葉ごみなどを取り除いていくので結構時間がかかります。いよいよ1枚目の綿がきれいに流れてきました。私は思わず空港で荷物を待ち続けてようやく廻ってきたあの気持ちを思い出しました。「おおよかった!」 今回私は繊維が細長く掛ふとんに向いているメキシコ綿やテキサス綿、繊維が太くこしがあるインドのチョイス綿やアッサム綿を色々なパターンでブレンドして作ったのです。 オリジナルの綿ができました!

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オリジナルの綿ができました!

朝から夕方まで休憩を少しはさみながら綿を作り続けていましたが、いつか自分で考えた綿でふとんを作りたいなと思っていました。全ての綿が作り終わり、丹羽氏から「ごくろうさん。よしこれを包んで東京に送ってあげよう」といわれ私は梱包を丹羽氏とはじめました。 お店に戻り帰りの支度をしていると丹羽氏が大きなビニール袋を持ってきました。中には朝方見せていただいた各国の綿が入っていました。「これを浩太郎さんにあげましょう。毎日これを見てさわって研究してください。そしていつか自分で良いと思った国の綿でおたふくわたを復活させてください。」といわれました。丹羽氏は私がいつかおたふくわたのオリジナル綿をもう一度作りたいという気持ちを分かっていたのかと思うとまたいつものごとく涙が出そうになりました。 私は小さい箱を作って丹羽氏から頂いた綿を入れて会社に置いています。仕事で訪問されるお客様もこの世界の綿をみて興味を持ってくれています。そして皆さん異口同音にこういいます。 「なつかしいですね。昔はみんな木綿で寝ていたんですよね。なんで減ってきちゃったんでしょうね」(履歴ライブラリー参照 )
次回は寝具業界に警鐘を鳴らした亀川氏について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2002年10月に執筆されたものです

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