九代目言聞録

19.再び「おたふくわた」復活?~沢山の出会いや再会があった2007年・・・ 来年は最高の「おたふくわた」を作りたい。~

お客様の一言に愕然とした・・
いま博多でこのコラムを書いている。ここのところあちこちで催事が多くなり、僕や社員の皆が交代で開店から閉店まで売場に立っている。催事の醍醐味は多くのお客様と出会い、そして貴重な一言を頂けることだ。お客様の声が何よりも参考になる。新聞、雑誌、ビジネス本もいいが現場で消費者の声を直接聞けるのだから言うなれば無料でマーケティングリサーチが体験できるのだ。やはり仕事の要は「人との出会い」に尽きる。
そういえばこの1年は本当に多くの人との出会いや再会が体験できた。今年は百貨店、通販だけでなくホテルや旅館、そして異業種メーカーとの取引も多く決まった。知人、友人の紹介で商談がまとまったものあるし、数年前から地道に営業を続けて、担当者との信頼関係が出来て実った商談もあった。本当に感謝の1年である。
僕がこうしてハイテンションで会社を頑張れるのはやはり応援してくれる取引先や多くの友人、そして僕の人生の先輩でも当社のブレーン達のおかげである。博多、青山に30代~70代と幅広い従業員や役員がいるおかげで色々な立場からアドバイスをもらえるのが本当に幸せである。やはりいざという時は経験がある人の一言というのは重みもあり説得力があるのだ。社長とはいえこの様な人たちのアドバイス抜きには前へ進むことは出来ない。

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昭和50年代の本社の
研究開発室

そして「おたふくわた」に重要なのはやはり「お客様の生の声」である。当社の最高級手作りもめんふとん「おたふくわた匠」の誕生も、おたふくわたが復活してまだ間もない時に行ったある催事に来てくださったお客様のひとことが大きなきっかけだった。そのお客様は僕のもめんふとんの説明を聞いたあと「そうねえ・・・どこのふとん屋さんも生地も中身も天然の綿を使っています。と言うけれど生地の染料も天然ですとこだわる店は最近どこにもないわね」僕は愕然とした。「しまった!」と思った。お客様にその瞬間「ありがとうございます」と言ったのを覚えている。
僕はその一言をきっかけに時間をかけて全国の綿織物産地から生地を取り寄せたり織元に直接見学しにいった。最後に気に入った生地を数枚ピックアップして呉服屋を営む義父に目を閉じてもらいふとんに合う生地として手触りで選んでもらったのだ。僕が一番気に入っていた生地と義父が選んでくれたのが同じだったそのときの喜びは今でも忘れない。そして完成したのが越後片貝木綿を使ったおたふくわた匠である。この生地は直接カバーをしないで寝てほしいと薦めている。また打ち直し時もまた再度利用できるほど長持ちのする綿生地である。来年、僕はそこでまた催事をするのだがあのお客様が来てくれないか秘かに期待している。

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昭和28年頃の博覧会展示

「おたふくわたって綿屋でしょ?」
そんなお客様の声で今年一番気になったひとことが「おたふくわたって綿屋でしょ?」である。春過ぎに催事を行ったときに年配のご婦人がチラシを片手に僕と社員のそばに来た。「懐かしいわねえ、おたふくわた!案内のチラシを見て嬉しくて急いで来たのよ」とチラシをカバンにしまいながら笑顔でそう言った。僕はさっそくふとんの話をしようとしたらその瞬間にカバンからメモらしきもの出して「あのね、私自分で家族のふとんを作ったりしてんだけど・・そりゃ素人だから下手だけどね。でも母親から教わってね今でも作ってんのよ。今日はお父さんのふとん少し綿増やしたいから2本ぐらい売ってくれる?」と言ってきた。

ご婦人の顔を見て僕は数年前の天然の生地について指摘された光景を思い出した。当社には巻き綿といってはんてんやざぶとんなどの足し綿は販売しているがかつてのようなふとん綿はまだ市販化していない。電話やメールでの問い合わせはたまにあったが直接聞かれたのはこの時がはじめてだった。まだ販売していないことを話すとさっきまで笑顔だった顔が急に険しくなった。「ええ?ないの?私いなかだからここに来るの結構遠かったのよ。
あなた、『おたふくわた』ってもともと綿屋だって知ってるの?なんかの新聞にも綿が復活とか書いてあったし、私の家のまわりのふとん屋さんもみんなつぶれたりして綿が手に入らなくて困ってたのに・・・綿屋なのにふとん綿売ってないっておかしくないの?」僕も社員も何も言えなかった。しかし僕は「創業は綿屋ですが復活してからは手作りのふとんを主力でしています。いつかは原点のふとん綿を売りたいとは思いますがいまは綿ふとんの良さをもう一度広めることに力を注いでいます」と言った。そのお客様は「ふ~ん」と納得していない表情をしていたが結局、巻き綿を数本購入してくださった。「すみません」レジで僕は謝った。そして「やっぱりふとん綿が必要な人がいるんだ」と痛感した。
先日の催事でも技能士の野原さんのざぶとん製作実演の途中に「おたふくさんの綿はキロいくらで売ってる?在庫ある?」と突然聞いてきたご婦人がいた。

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ベルトコンベアー

確かに僕はいつも「ふとん綿」の販売のことを考えてきた。しかしふとん綿を製造するとうのは相当のリスクがある。かつての当社がそうであったように販売量を計画し大量に生産する。その数は数千本の世界である(ふとん綿は関東の場合、1本3キロ前後が目安)。そして売れなければ当然在庫になる。どこの世界もそうだがこの「在庫」が一番やっかいなのだ。おたふくわたを復活させる上で周囲が一番心配したのがこの「在庫」である。だが僕は作りたてのざぶとんやふとんをなるべく販売したかったのでふとんに関しては在庫はほとんど出ないと考えていた。通販や百貨店でも「受注販売」の姿勢は基本的には崩していない。しかも近年、ようやく敷きふとんや腰ふとんなどが好調で売上を伸ばしているが、ふとん綿で在庫を出したら一気に赤字にいってしまう恐れがある。せっかくここまで細々と実績を出してきたのに逆転してしまう可能性もある。一度寝具業をやめた辛さを知るだけになかなか決心できなかった弱さが僕にはあった。

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30年代中期のトラック出荷

あちこちのホーロー看板で「日本一のおたふくわた」と宣伝してきたのはふとん綿を中心に国内生産量、品質、売上ともトップであったことを誇りに頑張ってきたからだ。今は国内生産量、売上はトップにならないだろうが品質は日本一だと自負している。現在、当社のふとんの中綿はインド、エジプトの最高級綿である。このままこれを販売するのかそれとも各国の綿を再度見直し市販化用にさらに研究を進めるか計画中である。お客様の声やふとん屋さんの声を聞き、やはり僕は在庫がなるべく出ないように計算をし「おたふくわた」というふとん綿を夏前に販売することを決めた。おたふくわたの本当の復活は綿屋を復活させることだというのは自分でも良く分かっている。しかし今年も多くのふとん屋さんがつぶれている。全国のふとん綿の量も年々落ちているし各主要原産国もふとん綿より紡績、あるいは農作物に転化しているのだ。本当に残念でならない・・・町のふとん屋さんが元気になるような、お客様が喜んで作るような綿を復活すると決心してもこれだけマイナス材料が多いとそれを販売することは相当覚悟のいることだ。しかしやるしかないだろう。2008年、「おたふくわたブランド」は復活5年目になるが年男である僕の来年前半目標は「おたふくわた」の復活である。
読者の皆様1年間ありがとうございました!来年もおたふくわたを応援してください!
皆様にとりましても素敵な1年でありますように。
新年第一号のコラムは「先生、綿は土に帰るんです!」です。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2007年12月に執筆されたものです

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