九代目言聞録

23.ついに僕はインドへ行った!~中~ ~「カレー」「たくましさ」「砂」「綿畑」「違法軍団」・・・ インドはエキサイティングだ!~

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トラックが傾いたまま。これがインドだ(笑)

どんどんインドスタイルにはまる!
インド到着翌日の早朝、僕はアーグラーに向けて出発することになっていた。前夜ガイド役のラジェッシュさんが僕の部屋まで朝迎えに来てくれると言って、その時ノックするからとノックするジェスチャーまでして確認したのに一向に約束の時間の6時半に来ない。いきなり寝坊かなあと思いしばらく待っていた。約束の時間から30分経とうとしたときホテルのボーイが部屋に来た。「ラジェッシュさんがフロントで待っています」
はあ??なんだよぉ。昨夜のノックのジェスチャーはなに??まさか歩いたらすぐ忘れちゃう病気じゃないだろうなあ。
彼とフロントで会った瞬間「大丈夫か?」と言われた。「ええ?君こそ大丈夫か!?」と言おうとしたが、朝から無駄な体力を使いたくないとあきらめ昨日と同じドライバーのタクシーに乗る。さあここから約3時間。到着日は夜だったのでこの日はじめて日常のインドを見ることができた。

ドライバーの運転の激しさに呆れながらも車中のラジオで流れる音楽、外の光景、インドに来たんだと僕はワクワクしていた。交差点は人、バイクや自転車がわれ先にと急ぎ牛が我が物顔で歩き、事故でトラックが傾いたまま店の前で放置されている。すげえなあ。インド。あっという間にアーグラーに到着した。朝食を済ませて有名なタージーマハールへ。これって城じゃなくて王妃の墓なんだよなあ。生で見る白い輝きの建物は圧巻だった。当時の権力を感じることが出来る。まあ色々トラブルがあったがダントツはタージマハールでトイレに行きたくなってしまったことだろう。入り口のセキュリティチェックでバッグを預けてることになり実はその中にトイレットペーパーが入っていたのだがもうこれ以上はご想像に任せる。僕はこの時から少しインド人になった気がしたことだけは書いておく。

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その後はアーグラー城や遺跡、教会などを見て回る。しかし信号待ちの間に僕は凄いものを見た。小さい赤ちゃんを抱く物乞いの母親がわが子をつねっていた。当然泣き出す。
その瞬間、なんと小走りで僕の前に現れた。「お腹をすかしている」というポーズをしていた。おいおい!お前さっきそこでつねっていただろうと突っ込みたくなった。
しかしインドの物乞いってたくましいや。僕は驚いた。彼ら彼女たちの目も決して伏目なのではなく前向きに感じるようなギラギラした目をしているし。
夕方、ニューデリーに到着。僕はラジェッシュさんとレストランで軽く食事。いやあおいしいよ。チャイ(インド版ミルクティーのようなもの)はいつどこで飲んでもおいしく感じるしカリーやナンはホント初日から食いまくっていた。それにインドでは初日から生水とミネラルウォーターを交互に飲んでいるが今のところお腹は好調。しかし気になるのが砂ぼこりや香辛料の匂いがしてくるのはいいのだが客待ちしているリクシャーの運転手達があちこちで群れを作っているのだが横を通る度にどうもこげくさいものを吸っているので何の匂いかラジェッシュさんに聞いたら「マリファナ」らしい。
もちろん違法である。しかし参ったなあ。何しろ彼らの近くを歩けばどうしても煙を吸い込んでしまう。違法間接喫煙である。

いよいよ寝台列車!
ニューデリー駅に到着して寝台列車に乗りいよいよ3日目は綿畑や工場があるガンガナガール地方に行く。列車が来るまで2時間以上あったがインド人は平気でホームで待てる。座りながら本を読む人、寝そべる人、チャイなどを飲みながら時間を過ごす人、さまざま。
東京じゃ考えられない。インド人は何時間でも待つ事に慣れていると思う。そして、また僕はインドスタイルを見て笑ってしまった。横のホームで待っていた人々が急に荷物を持って移動しだした。何でもそこに止まるはずだった列車が到着直前に急遽止まるホームを変更したというアナウンスをしていたらしい。まさに到着数分前である。えええ。凄いなあ。それでも彼らは良くあることだって顔して急いで移動中。彼らから見たら1分でも遅れたら構内放送で謝罪する日本のほうがむしろ滑稽なのだろう。
ラジェッシュさんと良く話すようになった。あっと言う間に2時間が経った。しかし良くお互いしゃべった。英語なんて勉強しなくても外国に来たら何とかなる。
僕の列車は2等。1等はインドのお金持ちや役人に限られているのでその次なのだがそうはいっても日本では考えられないぐらいのレベル。寝台列車は3段ベットの2列。つまり6人用である。ブルートレインに良く似ている。向かい側で寝るインド人家族が僕を一挙手一頭足眺める。全員が同じ方向で僕を見る。その姿がおかしい。寝心地は良くないが1日のインドを味わって疲れていないわけないのでまあまあ熟睡。そして朝6時頃、列車がある駅で停車していたので僕は起き上がりホームに出た。屋根もない日本でいう無人駅のようなところ。まだ霧が少し出ているが、数人がホームで歯を磨いていた。そして遠くから少年が「チャイ、チャイ」と言ってインド茶を売り歩いていた。最高に気持ち良い朝だった。今こうして書いていてもあの光景を思い出すと心地が良い。
数時間後にガンガナガールに到着!リクシャー(自転車タクシー)にラジェッシュさんと乗りホテルへ。シャワーで身体を洗い朝食。トーストとチャイ。ラジェッシュさんと3日目、すっかり打ち解けてお互い家族の話や仕事の話をする。1時間以上は話した。迎えの車が来たので僕達はいよいよ綿工場に行く。数分後到着!おお綿の山が見える!僕は遊園地に来たような感覚になった。一人で興奮。彼らは毎日見ているだろうけど僕は飛び上がるような気持ちで眺めていた。

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綿畑からラクダなどを使って綿を運んでくる。そして青年たちが綿を工場まで持ち込み
綿と種を分別する機械に入れていく。そして梱包して私達の日本に送ってくるのだ。

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おいしいカリーだったが「ハエ」まで食べてしまい
全然笑っていない自分

あの綿工場を見ることが出来るのだ。綿畑から獲った綿を袋に詰めてラクダなどに運ばせる。そしてこういった工場で綿と種を分けるために雇われている女性達が手で種を取いたり工場内になるジン(綿と種を分ける機械)で作業を行う。そしてパッキングして輸出をする。機械も40年以上も前のものを使い続けている。僕は3つ工場を廻った。ある工場では僕より少し若い人が社長をしていたが世代が近いせいかずっと僕に話しかけてきた。彼は綿工場だけでなくレストランやホテルも経営していて色々車で見せてくれた。
しかし彼と話して本音が見えた。どうやら彼は輸出事業はしていないようでそこで僕と輸入を直接したいようなことを後半言ってきた。おいおい君が喜ぶぐらいの綿の量を使っていないぞと心の中で彼に謝った。ラジェッシュさん、あなたがいけない(笑)彼は日本から僕をどう紹介されているのか知らないが人と会うたびに「日本で1番大きいふとんの会社だ」と説明している。毎回赤面しながら名刺交換していた。
工場を見学し終えたあとは綿花取引所やオフィスにお邪魔して綿の談義に花を咲かす。日本の綿ふとんの歴史や現状、そして環境問題など。いやあ話込んだ。彼らも僕の下手な英語をきちんと聞いてくれた。午後遅めのランチをオフィスのバックヤードで食べる。屋外でのランチはおいしい。カリーとナンとライスが沢山来る。生野菜をレモンでかけて食べる。生水を平気で飲む。しかし僕のカリーの中にハエが入り数分後おぼれていたのを見逃さなかった。ハエを避けるように食べたはずなのに食べ終わったらハエがいなかった。
僕はその後数時間全く笑顔を見せなくなった。

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綿畑を思い出し猛スピードで運んでくれたが
すでに夜(笑)

食後は綿花に携わる人の自宅でチャイを飲んだり街の実力者の自宅などに訪問したり高級住宅街やスラム街、町の公園などめずらしいコースを選んでくれた。その時、綿花会社の社員が「あ!!君は綿畑も見る予定だったよね」と言った。そうだよ!そうだ!僕もすっかり彼らの話と工場見学、お宅訪問に没頭してしまい畑を見ることを忘れていた。急いで車に乗り込みいざ畑へ・・・と到着した頃はすでに夜だった。もうギャグとしかいいようがない。しかもほとんど収穫も終わりただの畑だった。だがそれでいい。僕は綿畑という場所にいるだけでも幸せだったしこの日はそれ以上に貴重な経験をさせてもらった。他のビジネスマンが経験できないような体験が出来たのでそれだけで十分だった。それを察してか、冷える1日だったのに半そでのダガさんというユニークな綿花会社の人が、枯れた綿の木を拾い僕に渡しながらこういってきた。「綿畑なんて色々な日本人が見てるんだから写真を見たらいい。それよりいい経験をハラダさんはしてるんだ」

次回はついに僕はインドへ行った~最終回~をお送りします

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年2月に執筆されたものです

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