九代目のひとりごと
25.警鐘!老舗を守れ!
おたふくわたは日本の伝統を大切にする商人と未来へ進みたい。
私にとっての老舗呉服店論
私の友人、知人には周知の事実だが家内の実家は都内でも屈指の創業150年の老舗呉服専門店である。いま私の義弟が父親に代わって会社の先頭に立ち若女将 二人と一生懸命と試行錯誤を重ねながら頑張っている。若い二人の力で店の雰囲気も変わり客層も新しくなりつつある。
ここ最近、老舗といわれてきた数々の企業が倒産や廃業をしている。新聞などを眺めていると知っている名前も良く出ている。誠に残念としか言いようがない。 日本を支えてきたのはこういった老舗企業である。間違いなく日本経済に多大なる貢献をしてきた。
何もIT企業が悪いとは言うつもりはない。だが日本伝統の奥深き「物」が街からなくなってきているのは残念で仕方ない。何も家内工業だけが元気がないので はない。大企業である「ソニー」がいま迷い込んでいる理由はなぜかか。それは「ソニーらしい、日本人らしいモノ作り」をしなくなってしまったからだという 声が圧倒的だ。
季節や出先によって色や柄が選べる伝統衣装である着物、職人が丹念に作り上げた、きめ細かい芸術品とも言える手作り人形、置いているだけで何ともいえない 美しさと柔らかさがあるお椀、そしてお盆、機械では作り出せない気持ちまで涼しくしてくれる扇子、淑やかな日傘、家内工業でがんばっている心こもったおい しい煎餅、おたふくわたも確かに創業が古い。その間に幅広い寝具をやり、寝具以外、例えば不動産などにも力を入れて会社を大きくした。そういった先見の明 を持った先祖様にはただただ感謝することしかできない。そのおかげで大きいピンチも超えてきた。
だが本来、おたふくわたは「綿仲買」だった。「わたくし、いわゆる綿屋でございます」それこそがわが社の原点である。三越も高島屋も昔は呉服屋だった。今 では日本トップの百貨店だが、原点であるはずの呉服の店舗が縮小しプロフェッショナルといえる商人が減っているのが残念だ。暴論かもしれないが彼らの一階 には化粧品ではなく呉服店を置くべきだといつも思っていた。
事業拡大し大成することも偉大だが、私が老舗のお店を尊敬する理由はただひとつ。
「続けている」ことが凄いと思う。亡くなった私の父(おたふくわた5代目)は雑誌の対談で「なぜ2代目の重吉氏が当時盛んであった紡績業にいかずに寝具の 綿にこだわったのかが疑問だ」と答えいる。父にしてみれば当時、寝具部門だけでは厳しいと判断し不織布などにも力をいれ脱・寝具メーカーを狙っていたので そういった考えが出るのは理解出来る。
当時とは状況が全く違うので父を否定するわけではないが重吉氏は「綿屋は綿屋で徹したほうがいい」という博多商魂らしい考えがあったと考える。私は以前新 聞のコラムで書いたことがあるがご先祖様の中で一度でいいから酒を飲みたかったのがこの重吉氏である。「余計なものに手を出すな」まさに老舗企業の鏡であ る。
私は義弟の呉服店を見てなぜか重吉氏の事を思い出す。家内や義母からかお店がここまでの道のりに大変な苦労があったと聞いている。先代達が必死に家業を守 ることだけを考え、私財を売ってでも店を守りきったということだ。しかしそれらの思いが今はこうして財産として立派な店として残って居る。
昭和の初期までは呉服店と寝具店が一緒になっている店が多かった。呉服と寝具、お互い綿を使うし絹(真綿)を使う商売。衣食住のうち2つである衣住の要の部分が呉服店で手に入った。いつか一緒に商売が出来ればと考えている。
※このコラムは2005年9月に執筆されたものです