29.おたふくわたへの思い、そして復活への思い

昨年から「おたふくわた」を復活させたいという思いから各地をあちこちと動き回りましたが、ここまで来れたのは皆様のご協力あってのものだと思います。全く綿やふとんとは縁のなかったスタートでしたので多くの職人さんや経営者の皆さんそして関係者の皆さんと出会えたことは励みにもなりそして復活への大きな足がかりになりました。
弊社が寝具業から撤退して今年で6年目になろうとしています。
当時私は大学生でしたが小さい頃から亡き父がふとんや綿の仕事をしていたことをなんとなく覚えていたので、この会社に入った時それらがなくなっていたのを見て寂しい気持ちはありました。あちこちとふとん屋さんやデパートに行くと綿ふとんはほとんど消えて羽毛・羊毛という商品が店頭に並んでいました。木綿ふとんを否定しているデパートの店員さんの話に矛盾を感じて自分自身でその事実を調べてみようと決意したのがこのコラムを始めたきっかけでもあり「おたふくわた」復活への思いが強くなった始まりでもありました。
先日ある新聞で羽毛や羊毛の試買テストの結果、なんと半数以上が品質表示の内容と実際の中身が違うというニュースが出ていました。(特に羽毛ふとんの試買テストは17点中10点が表示に問題があったそうです)木綿ふとんに代わる新しいふとんとして注目されてきた羽毛・羊毛ふとんもこういった問題のせいで売れ行きが下がってしまうことは業界全体で考えると非常に残念なことです。消費者は更に寝具にアレルギーまた機能や品質について詳しくなり賢くなってきていますので業界全体も更に努力をしていかないと全ての寝具が疑われてしまうのではないでしょうか。
私は木綿ふとんの長所や欠点を色々学びました。きちんと手入れしないと、質の悪い木綿だといわゆる「せんべいふとん」になりやすいなど欠点もありますが何より太陽や温かい風の中で干すと回復性がある、吸水性がある、静電気を起こしにくい、動物アレルギーの人には肌に優しい、清潔感がある、木綿のあの匂いが心地いいなど長所のほうが多くあります。こういった考えから私は小さいスタートで自分の理想の木綿ふとんを作ろうと思いました。神奈川でふとん屋さんを営んでいる野原氏に頼み手作りのおふとんを作ってもらい自分や仲間に渡して寝てもらいましたが本当に軽くてそして程よい重さに満足しています。また日干しした後の回復性はなんともいえません。
アンケートやメールを読んでいると確かに圧倒的に「羽毛ふとんは軽くて温かい!」という内容が多いのですが中には「羽毛のかさかさという音がいやだ」「軽すぎて嫌だ」「匂いが嫌だ」という内容や「木綿のあの重さが安心感がある」「なんだかふるさとの事を思い出す」など嬉しい内容のものもあります。こういった意見を見ると「まだ木綿ふとんを必要としている人はいる」と思い「ゼロにならないなら売ってみようか」という気持ちになりました。昔より軽い木綿ふとん・・そして何よりいい綿で丁寧に作ることできっと最高のふとんが作れるのではないかと思います。ある若い女性の方から「木綿ふとんならおたふくわたが最高だとうちのおばあちゃんが話していました」と涙が出るようなメールが来ていました。もう一度そういうふとんを作りたい。天保の創業時のように「小さいスタート」から始めたいと私は決意しました。
今の時代の逆を行くような「木綿の復活」。私はこれにあえて挑戦しようと思っています。
次回は野原氏との再会について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年4月に執筆されたものです

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28.腰痛ピンチ!おたふく助けて!~超快適と腰痛・・・・ 弊社のふとんをこれからどうする~

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1年以内にへたる

「最高の寝心地」と「腰痛」
5年前に僕はおたふくわたブランドを復活した。おかげさまで多くの方々が手づくりの綿ふとんを買ってくださった。5年が経過したのでそろそろ打ち直しの要望も出てきた。
復活してから3年ぐらいまではお客様にアンケートなどを取ってふとんの状況をこまめに聞いてきた。しかし最近ではそれをすることが出来なくなっている。打ち直しの目安であり復活5年目の今こそ聞かなければいけないのでは。そう感じている。
当社のふとん打ち直しを考えてくださっているのか、それとも木綿ふとんに懲りて新しい商品を購入しているのか、色々不安になってくる。特に敷ふとんが顕著に出てくる。敷きにはインド綿を入れている。インド綿は太い繊維でコシがあるのだがへたりやすい。しかしそれ以上はへたらず何とも言えないぺちゃんこ感がある。ポリエステル綿を入れてないのでもちろんカサが出にくいしインドに限らず昔から敷ふとんはこのように短繊維の綿を入れているのでせんべいふとんと言われる所以である。昭和初期の頃は国内の綿を使用していたが日本の綿もインドに似て繊維が短くコシがあった綿であった(綿のルーツもインド方面に近いのでそうなのであろう)だから昔は2枚敷きで寝ている方が多かった。
へたることを知っていたのでそうしていたのだ。確かに2枚で寝ていればあまり日に干さなくても長い間新品の1枚敷と同じぐらいの厚さで寝ることが出来る。

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実は購入してくださったお客様の中でよくご贔屓にしてくださる方や共通の趣味などがあってプライベートでも親しくさせていただいている方々が何人かいらっしゃる。ふとんについては本音で感想を言っていただくのだが「最高に寝心地が良くて素晴らしい!」と恥ずかしいぐらいお褒めの言葉を言ってくださる方と「木綿のぺちゃんこに慣れていないせいか腰が痛くて」という方もいた。
僕は復活する前から純綿でふとんを作ると腰痛になる人がいると聞いていた。しかしこれは何も木綿ふとんに限ったことでなない。換言すれば木綿ふとんで寝ていた人がベット、マットレス、低反発に慣れていない人がそれらに寝たら腰痛になったというご意見も聞く。
つまり長年使ってきたふとんを変えれば当然体もそれに慣れていないので驚くのだ。
木綿ふとんに慣れていない人は確かに驚くだろう。購入時はあんなにカサがあったのにみるみるうちにせんべいふとんになるからだ。しかし僕はそれでも木綿ふとんで腰痛になったという人を少しでもゼロにしていきたいのだ。

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インド視察は僕の木綿ふとん論に
多大な影響を与えた

日干しとストレッチ
実は僕は数年前ぎっくり腰になったことがある。ぎっくり腰は確かに癖になる。
それからというもの少しでもその予兆があると動きがつらくなるのだ。中学、高校時代とラグビーをしていて、大学に入ってから現在まで週に2~3回は早朝または深夜ジョギングとウェイトトレーニングを欠かさずしているのだがトレーニングのスクワットをした次の日に当時2歳の息子を抱いた瞬間襲ったのだ。スクワットは最近ではかなり重さを抑えているが当時は100キロ前後でやっていた。
だから寝る前はストレッチをしているようにしている。するしないでは翌朝の状態が全然違う。僕はもう何年もぺちゃんこの木綿ふとんで寝ているが自分の慣れたふとん以外で寝るとストレッチをしても中々寝付けない。自分の商品を自賛しているのではなくやはり慣れというものがあるから体を管理することで少しづつ改善できるのではないかと考えるのだ。
木綿ふとんだけではなく新しい商品を購入して腰痛になった時、試しに自分に合うストレッチをしてみてほしい(方法は専門ではないのでご勘弁を)就寝前にそれをすれば多少は改善できないではないだろうか。それでも解決しない場合は相談するべきだろう。
僕は週に1度しか干さない、あまりふかふかのふとんが好きではない。枕もそば殻を使っている。ホテルに良くあるふかふかの枕と羽毛ふとんなどはどうも寝付けない。だから自分の家のぺちゃんこ綿ふとんが好きで仕方ないのだ。
木綿ふとんを購入される方で特に敷きふとんの方には僕は「ぺちゃんこになります」と話している。だから2枚敷きや打ち直しについてもなるべく説明するようにしている。
そして木綿ふとんが好きな方には2つのタイプがいらっしゃる事も話す。
日に干してふかふかになるのが好きな方、僕みたいにあまり日干しせずぺちゃんこが好きな方、だからタイプを聞いておかないと最高の寝心地が腰痛になる場合もあるのだ。
しかし木綿ふとんは奥が深い、僕はまだまだ研究の余地があると考えている。だから僕は死ぬまで木綿ふとんについて考えて動いていくだろう。どうしたら好きな人が全員満足してもらえるか。頻繁に日に干さなくてもカサが出る、へたりにくい、打ち直しの時期が延ばせる、そして年配の方々が楽に持てるほど軽い。
色々木綿ふとんについて考えるときどうしてもポリエステルの話が出てくる。ポリエステルを混ぜたほうがいいとアドバイスをしていただく方も多い。
確かにポリエステルを混ぜるとカサも出て、配合率によっては純綿より安定感があるのだ。それは認める。しかし僕はどうしてもそれをしたくない。例え数パーセント混ぜても純綿ではなくなるからだ、偏屈と言われるかもしれないが僕は江戸時代から続く木綿ふとんをさらに完成度の高いものにしていきたい。
だから僕の中でこれからもポリエステルを入れることはありえないのだ。僕にとっては江戸時代にポリエステルを入れていたの?ということになる。
確かにお客様のニーズや時代を考えたという点ではすばらしい繊維である。軽いしカサも出るし、便利な繊維である。

だが催事などで立っているとお客様のほとんどが「綿100%なの?」「混ぜていないわよね?」と聞いてくる。ありがたいことに純綿100%が好きなお客様はまだ多いのだ。それは僕にとって本当に励みになるのだ。
今、考えていること。
僕は数年かかるかもしれないがどうやれば軽い綿を作れるか、そしてカサが保てていけるか必死に考えている。そしてへたった後、例えばミニざぶとんのようなものを作りそれをふとんの腰部分の下に敷くとか穴あきの敷きふとんを作りその穴にざぶとんを交換して入れられるとか、対策を考えている。
持論だが僕は手がかかるほどいい人生を送れると思っている。育児でも趣味の車でもうちの猫でも。手がかかるほど愛着を持ち、そして癒してくれる。木綿ふとんもそうだと思う。干さなきゃならないし、重いし、出し入れしなければいけないし、しかも数年経てば打ち直しをしなければいけない。
しかしだからこそ干した後の香ばしい匂い、そしてふっくらしてくれる、打ち直しから戻ってきたときのあの喜び、また不要になれば捨てずにざぶとんやはんてんなどに作り直す。私たちの先祖はモノを大事にして、木綿ふとんに愛着を持ってくださっていたのだ。
愛着を持てるふとんなんて木綿ふとんだけだと言いたい(笑)
だからといって高齢者に重くて不便さを感じてもらうのは辛い、だから僕は毎日毎日悩みながら最高の木綿ふとんとはどういうものか考えている。時間はかかるかもしれないが自分の完璧な木綿ふとんを作り上げたい。純綿なのに軽くて、カサがあり、コシがあり、やさしい綿ふとんを。
次回は「催事感動物語」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年7月に執筆されたものです

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28.個性的なものを作りたい和田哲さんにデザインについて相談したこと・・・

突然ですが皆さんはふとん地のデザインについてどう思いますか。先日アンケートを行ったところ意外にも「花柄」が根強い人気でした。
意外にも・・というのは私自身はどうしてもこのふとん柄の花柄が気になって仕方ありませんでした。カバーには最近多くの個性的な柄が出ていますが木綿ふとん地はあいかわらず花柄調が圧倒的に多いからです。
確かに素敵な模様もありますがどのメーカーも似たような花柄ですし、特に木綿ふとんの側地の花柄は若い人にはあまり人気がないと聞きます。私はもしおたふくわたふとんを作るならば花柄は避けようと思っています。ただ無地柄も最近は出ているのでここは少し頭をフル回転してデザインについて色々勉強しようと思いました。 昨年、和田哲株式会社の和田亮介会長様と出会ってから和田哲さんにデザインや側地について色々相談させていただくようになりました。デザインを担当している青木氏には特にデザインの相談などでしょっちゅう電話をしたりメールをしたり時には大阪に行ったりなどして相談をさせていただいています。当初私は景色などの写真っぽい側地はどうか考えていました。しかし青木氏は首を縦にふりませんでした。「きれいに写らないと思いますし、プリント方法が難しいと思います。どうでしょうかね」私は青木氏と机上のデザインサンプルを見ながら長い時間相談していました。青木氏は私がおたふくわたの復活を正式に決めていないにも関わらずなんと丁寧に花柄、紋調、ストライプ、チェックなど色々なデザインを私のためにサンプル集を作ってくれました。皆さんにお見せしたい美しいものも数多くありました。
後日私はあるデザインを思い付きそれを青木氏に送りました。完成はしていませんが5月にはきっとデザインのサンプルは出来上がっていると思います。
「原田さんの考えていることはあまり寝具業界では考えていなかったデザインですからこちらとしても色々トライしてみます。だから原田さんも賭けの覚悟で来てください。こういったデザインはあまりふとんとして出したことがないので消費者がまっぷたつに好みが分けられると思います。」私は俄然やる気が出てきました。
そういえば私の妻も以前「特に女性などはカーテンなどのバランスとかを考えてカバーやふとんを買う」と話していました。ふとん地もカバーの中に入ってしまうとはいえデザインはやはりキーポイントになります。
実は私は学生時代に卒業論文で寝具業界のマーケティングについて書いたのですが、調査の為におふとん屋さんを廻ったことがあるのですが「おたふくわたはねえふとんは凄い気持ちがいいんだけれどもデザインが良くないんだよね」と苦笑されたのを良く覚えています。当時の社史やカタログを見るとカバーや羽毛ふとんの側地は今もおふとん屋さんで置いているようなものもあり、そんなに言われる程と思っていました。むしろ今人気があるペイズリー柄などもありました。「時代を読むのが早過ぎたのかな」などと自己弁護していたのですが、木綿ふとんの側地は確かに当時でも古臭いのではと思う柄が多かったのを覚えています。
私は青木氏に何度も話しました。「おたふくわたは多分一回も花を使わないと思います。すでに他社がきれいな花柄を使っていますし、ふとんを復活させたら、もはやうちも後発になります。だから今から花柄を出すことはないと思います。」
青木氏は「分かりました。原田さんのコンセプトに近いもの出すように努力します。こちらも会社の名前もあるので変なものは出せませんからね(笑)」と青木氏も真剣な目つきで私に話しました。デザインの発表は私がいつかふとんを発売する時があった時に分かると思います。最高の綿で、そして皆さんがよく寝られるような綿の入れ方を工夫し、派手すぎず地味すぎずの柄でいいものを作ろうと思います。おたふくわたを復活させる気持ちが強くそしてその実現が近いと思います。

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青木氏は色々なデザインを作ってくれました。
写真はサンプルの一部です

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年3月に執筆されたものです

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28.実り多かった2005年のおたふくわた。 来年はさらに「綿ふとん」を究めていく・・・ ~沢山の人に支えられた1年。本当に感謝しています~

もう今年もあと数週間で終わろうとしている。 あまりにも日ごろの変化が多いせいか誰もが 時の流れの早さに驚きを感じているのでは ないだろうか。
おたふくわたも復活してから今年で3年目を迎えた。特に今年は色々な出来事があり実りも多かった1年だった。

まず若い従業員が増え会社の雰囲気が一気に変わった。現在20代、30代の若手が手作りわたふとん普及にやる気を見せて頑張っている。このおかげでお客様はもとより取引先などからも印象が変わったという声を頂くようになった。多彩な顔ぶれが会社に活気をもたらしたことは事実である。

もちろん、ハニーファイバーとともに生きてきた人生の先輩とも言える50代、60代の従業員もやる気を見せて頑張っている。つまり今年になって会社は寝具撤退以来9年目にして、ようやくバランスが取れた感じがする。やはり会社も人の体もバランスが崩れてくるとあちこち不具合が生じてくる。

さらに今年は商談が多く、その結果、取引先が増えた事も大きい変化だ。確かに商談を重ねていると「わたふとん」は時代の逆行だと考える人もいたことは事実。だが発想の転換で「今こそわたふとんだよ」と考えて取引を始めた方が多かった事はわが社にとって嬉しい出来事であり大変感謝している。例えば福岡の老舗百貨店である「岩田屋」と10年ぶりに取引が再開した瞬間は感激のあまり体が震えて仕方なかった。

博多で創業したわが社にとって岩田屋との取引は格別のものがある。遠い空から応援してくれていたご先祖様達もきっと喜んでくれたに違いない。そして催事中も予想を良いほうに裏切り販売好調だった。

このように他にも取引先が増えたことにより「会社の信用力」も高まった。来年以降、さらに商談は増えていくだろう

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社外でのイベント活動も積極的に行った。渋谷区で行った綿の歴史や寝具の歴史を話した講演会やヨコハマグランドインターコンチネンタルで行ったざぶとん教室はどれも大盛況だった。このようなイベントは来年以降も時間が許す限り積極的に行っていくつもりだ。
店や催事以外での主婦の声を直接聞けるのは大切な事だと思っている。
また新宿御苑には綿の種を提供し現在も丁寧にインド綿を育て続けてくださっている。
最後に私事だが昨年末の読売新聞で募集していたクラシックの作文コンクールで最優秀賞を受賞し特派員としてフランスの音楽祭に招待を受け、家族全員連れていったたことは最高の思い出となった。

こうして考えると凡人である私の周りに、いかに多才なる方々が私を支えていたか分かる。

深く感謝します。ありがとうございました。
来年は1年以上研究して温めていた新作の発表、業界初の本格的なオペラコンサート、ショールーム改装計画、イベントの講師、など今年より慌しい年になりそうだ。

来年の干支である犬のように時代を駆け走り、さらに充実した年にしていきたい。

そして何より笑顔の多い1年でありますように。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年12月に執筆されたものです

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27.木綿を愛する商社マンメルクロス株式会社の鳥居氏

メルクロス株式会社は日本橋に本社があり主に食品、リビング品、工芸品などを扱う有名商社です。その中で寝装品を中心とした卸業を行うリビングユニットというグループがあるのですが、その中で綿の輸入などを担当している鳥居正明氏とは以前、知人の紹介で一度食事をしたことがありました。鳥居氏は気さくで優しいだけでなく面白い話や体験談を沢山される方なのです。また再会したいと思っていた私は先日、日本橋のメルクロス本社にお邪魔することにしました。鳥居氏は応接室に入るなり「元気でしたか?あの時食べた大根サラダはおいしかったですね(笑)」といきなり言い出したので私は思わず笑ってしまいました。

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メルクロス株式会社の鳥居氏です

鳥居氏は仕事で度々綿の原産地であるインドへ行っています。昨年秋にも行かれたそうです。私もいつかはインドへ行きたいと思っているので、私は興味深く話を聞きました。 「インドはアメリカみたいに企業が広大な畑を持っているのではなく日本の農家のように個人が畑を管理して綿を作っているんです。だからその綿を取りまとめる仲買人がいるのですが、この仲買人というのはその地区では絶大な力を持つボスなんです。農家から集めた綿を今度は輸出担当の会社に売るんですよ。だから日本の農家のシステムと非常に似ています」と話をしながらガンジーのようなその仲買人の写真を見せてくれました。 畑から綿を取り出したり、袋に入れる女性達は皆、青、赤、黄色などのショールみたいな布を頭からすっぽりかぶり民族衣装のようなドレスを着て作業をしています。 「この衣装がくせものなんですよ。この布がほつれて綿の中に青や赤の色がついた糸がたまに入って来るんですよ。綿が白いから尚更目立つじゃないですか。だから日本に着いたらその糸を取り除くのが大変なんです。だから一度Tシャツ、ズボンのような普段着でやってくれないかと話したらインドではこれが普段着だと一蹴されたんですよ(苦笑)」と話されました。確かに写真を見るとカラフルな衣装を着て作業をしています。彼女達はカメラに向かって実に楽しそうな顔で作業をしていたのが印象的でした。「カメラがめずらしいからでしょう。けれどよく安い賃金であそこまで働きますよ。実に一生懸命働きます」しかし綿の発祥の地とも言われるインドでは深刻な問題が起きています。 「最盛期には32万俵ぐらい綿が入ってきたのですが今では2万俵ぐらいしか入ってきません。日本では敷ふとんとして使われていたインド綿ですが、木綿ふとんの需要などが減ってきたのも原因でしょうね。インドではそもそも綿を作る農家が減ってきたんです。それはなぜかというと灌漑用水が広がって色々な農家で食物を作れるようになりました。彼らは綿よりも食物のほうが早く収入を手に入れられるので綿の生産は自然に減ってしまいました。」と少しさびしそうな顔をしながら話されました。 私は最高級のインド綿は本当にコシがあって肌さわりも良く、敷きふとんとしては最高の繊維だと思います。木綿ふとんの需要は減っているとはいえ今でも木綿ふとんは通信販売などで好調な売れ行きを示しています。

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こんな綿花みたことありますか。
インドでは最高級といわれるメガライの綿です。

インドでは過剰に農薬を撒くとか枯葉剤を使うことはしないので、オーガニックコットンに近い状態なのではないかと思いました。鳥居氏はうなづきながら「そうなんですけどね彼らにはそういった表示などは興味がないしあまり詳しくは知らないんですよ」と答えてくれました。 「でもメガライ州やアッサム州などの綿には最高のものが沢山ありますよ。原田さんはもっとこの辺りの綿を調べて、人に説明が出来るぐらい勉強したらこの綿で寝てみたいと思う消費者は沢山出てきますよ。」と話してくれました。 普通皆さんが見る綿花と違ってこの辺りの一部でしか取れない最高の綿花があります。 画像を見ると分かりますがぶどうのようにひとつの花にいくつもの種がくっついた不思議な綿花です。そしてこの綿は一つ一つがコシがあって弾力性があります。 このコラムでは書ききれないくらい鳥居氏はビジネスとしてだけではなく木綿が本当に魅力的だという知識を沢山持っています。氏がおっしゃった通り、このすばらしい綿をいかにうまく人に伝えられるのかが私の今後商品を売るための課題だと思います。
次回は和田哲さんとデザインを作った話について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年3月に執筆されたものです

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27.またもやテレビ番組で羽毛、羊毛ふとんを否定。 大反響になったNHK朝の人気番組「生活ほっとモーニング」 ~これは鳥インフルエンザに次ぐ自然界からの警鐘か・・~

私は信仰心が特別強いわけはない。だがこれは神の怒り、自然界からの警鐘、と深刻に考えてしまう。最近、あちこちで羽毛、羊毛ふとんを疑問視する声が出ているのだがついに公共放送のNHKでもこれらのふとんを否定してしまった番組があった。

一部のマスコミなどでも取り上げられたが10月4の午前8時45分から放送された人気番組「生活ほっとモーニング」という健康情報番組で「からだはエライ!Q&A ぜんそくの悩み」という特集があった。

ここ最近ぜんそくの患者が急増しているという。しかも成人になってからなる人が多いので深刻化が進んでいるというのだ。アレルゲンの中で特に有名なのがダニ、花粉、カビ、動物の毛、卵、などだが今回はダニを中心に番組は取り上げた。 番組では、ぜんそくを持った子供のいる家族を取り上げふとんの手入れ方法や掃除機をかける前と後でのダニの量などを測っていた。掃除機をかけるとダニの量が減ったというオチだった。

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だが問題になったのはその後だ。場面がスタジオに戻り、斎藤博先生(国立成育医療センター研究所免疫アレルギー研究部部長)が説明をしながらテロップでふとんの素材を○×で流し、なんと羽毛、羊毛に× 綿、ポリエステルに○を出していた。この表示に業界の各団体やメーカーが猛烈な抗議の電話などをしているという。また主婦などからも問い合わせがかなりあると聞いた。
何を根拠にしているのだ。確実なデータはあるのか。という内容が多いそうだ。

私は綿ふとんが否定されなかったと内心安心した反面、テレビの反響の怖さを再確認した。10年前にも日本テレビの超人気健康番組である大学教授が「羽毛ふ とんは温かすぎる。あんなの8時間も寝ていれば心臓に負担がかかる。これは人殺しのようなもんですよ」と発言し大問題になってしまった。

私は勇気を出して番組に出演した斉藤先生に連絡をし、話を聞くことが出来た。斉藤先生は抗議の電話が殺到し多少電話口でも疲れがわかるような口調だったが私には逆の電話だったので色々と話をしてくれた。

何の資料に基づいて話したのか・・・それが気になった。我々は「綿は体に優しい」といくら消費者に話しても「自社製品の思い入れ」と思われる事もある。だから私は寝具に関する公に出ている貴重なデータをいくつも集めている。私の手元には綿が良いと判断出来る資料が揃っている。

斉藤氏が教えてくださった団体、さらに放送をしたNHKにも連絡をしてディレクターと話が出来、ついに会社にデータが届いた。社団法人である日本小児保健協会のデータによると綿ふとん、ポリエステル、羽毛、羊毛、ぬいぐるみ、じゅうたん、などのダニの量を測り掃除機をかけた結果、羽毛と羊毛ふとんはダニの量が大幅に減らなかったというグラフが出ていた。さらに羽毛や羊毛は動物性なのでダニを増殖させていると結論付けていた。

実験方法やデータに関しては多くの意見があるのはわかるが公的機関の学会で発表され、さらにそのデータが有効であると認められてNHKで全国に放送されたことは事実である。

今年の冬には新型インフルエンザが大流行すると言われている。鳥から人にうつる病気は重症化するという。鳥インフルエンザから発生されるというこの病気、そしてBSE牛肉問題など我々を脅かすこの状況は動物界、つまり自然界の警鐘としか思えない。

ふとんに使われる羽毛には関係がないといわれているが販売や輸入に打撃を食らうだろうし消費者から不安の声が再び出るのも確実だ。業界は安全であるという根拠あるデータを出さなければいけない。

だからといって植物繊維である綿にも遺伝子組換え綿やオーガニックコットンなど研究すべき課題は多い。
引き続き我々は日々これらふとんに関する話題をつねにキャッチし探求していこうと思う。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年11月に執筆されたものです

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27.小学校ブーム~親友だった歌舞伎俳優F君との再会・・・・~

10年前の悲しい再会
 一昨年の正月にF君と小学校の卒業以来2度目の再会をした。彼は大人気の歌舞伎俳優である。しかし僕は小学校1年から彼と本当に親しかったので今でも「有名人」という感じがあまりしない。しょっちゅうテレビに出ていたり舞台に出ていたりしているが同級生というイメージが強すぎて「あいつも頑張っているなあ」という程度である。

 最初の再会は今から約年前。20代半ばの頃である。三越劇場で彼が主役の舞台がありそれをたまたま何かのチラシで知りなぜか急に会いたくなり観に行った。僕は前の会社で営業マンとして上司や取引先から毎日鍛えられていた時期で毎日が刺激的だったのだが彼に会って僕も元気に頑張っている姿を見せたかったのかもしれない。

小学校の頃から実に15年ぶりの再会だった。楽屋で会った瞬間、懐かしくてお互い感激して握手をした。しかし・・・絶え間なくマスコミや客が楽屋外で並んでいたのでたった数分しか話せなかった。あの別れ方は今でも良く覚えている。僕の記憶は「小学校の親友」のままだが環境が変わり彼はもはや遠くに存在してしまったような気がした。当時の事務所スタッフに促されて僕は楽屋を出た。悲しい再会だった。ああ彼にとってはあの頃は単純な過去なんだなあと思いながら帰路についた。こんな悲しい気持ちになるなら会わないほうが良かったとさえ思っていた。

 しかし2年前に再会したときはそうではなかった。それは父が生きている頃から40年以上も親しくさせて頂いているご近所の歌舞伎俳優Sさんが主演している歌舞伎を正月に家内と2人で観にいった時のこと。その芝居にたまたまF君が出ていてSさんがいる楽屋の2部屋先ぐらいに彼の楽屋があった。僕は年前の事を思い出し、さらに彼との距離を感じてしまうのも何となく嫌だったので再会はやめておいた方がいいだろうと思った。家内は僕がF君と同級生であることは知っていたが年前の再会について話したら呆れた顔で「小学校時代の親友だったんでしょ?年前も今もF君は多忙極まりないから仕方ないじゃない。びくびくしていないで堂々と行きなさいよ!」と背中を押されて僕は入り口まで行った。突然の訪問に入口にいた事務所の女性の方が驚いた様子だったが彼は休憩中で不在だと言い一応名前だけ伝えておいた。そして僕達夫婦は席についた。

1部が終わり休憩で席を立とうとした時、さきほどの女性が小走りで僕らの横に来た。「芝居が終わったらぜひ会いたいそうなので楽屋に来てください!」家内は僕に「それみたことか」という顔をしていた。ふうん君のおかげだよ、でもまたすぐ帰ることになるよ。と僕はネガティブに答えた。

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というわけで2回目の彼との再会。来客も何組かいたが最後に私達夫婦を案内してくれた。もしかすると彼は10年前の事を覚えていたのか。
「おお、やっぱり原田はいつまでたってもあのままだ。」と彼はまた握手をしてきた。化粧を落としながら彼は僕の近況を色々聞いてきた。考えてみれば1回目の再会と環境が変わり、お互い結婚し、同世代の子供も持ち、僕は家業を継ぎ偉大な先代を超えようと日々活動している・・・以前と比べ彼とはそれなりに共通点が増えていた。前回と違い楽屋でゆっくりと話せる事が出来た。彼から次回の芝居を招待され連絡先の名刺や携帯電話もくれた。

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写真でもいつも
横にいた・・

いつも一緒にいた
ぴかぴかの小学1年生の時、同じクラスで最初に仲良くしたのがF君だった。まだ彼は舞台デビューもしていなかったしもちろん有名歌舞伎俳優の息子だなんて事も知らない純粋な出会いだった。僕達はいつもいつも一緒にいたのだ。彼が舞台に出るようになっても下校後に彼と歌舞伎座に行き花道や舞台裏をきゃっきゃっと言いながら走り回っていた。学校で毎日会うのに電話でも長く話したりしていた。僕が通うピアノ教室なんかにも彼はついてきたりしていた。お互いの自宅に呼び合うことも多かった。
彼と下校時にバスに乗ると年配の人たちが彼であることに気が付き声を掛けてきたり近寄ってくる、またハンサムな彼に同世代の少女達が近寄ってくる、僕はまるでボディーガードのように彼の前に立ち守っていた(笑)よくコンパで美女の横にぴったりくっついいているコワモテの女性がいるがあんな感じだ。
彼が乗り換える「青山一丁目」というバス停で一緒に降りて青山ツインタワー裏にある滝が見えるテラスに座り長い時間話していた。色々思い出があるがあのテラスで一緒にいたことが一番良く覚えている。

 だが6年生の頃、僕らの関係に距離が出来た。彼は真面目で努力家だったので勉強も良く出来た。歌舞伎があるのでしょっちゅう早退していたにも関わらず成績が抜群に良かった。僕は3年生の終わりに大好きだった父が死にそれ以来全く勉強しなくなり、少し荒れていた。F君とはそれでも仲が良かったが5年生の終わりごろから彼は歌舞伎の出演も増え一緒に下校することが自然と減りさらに僕は悪ガキ軍団と遊ぶようになっていたから彼と遊ぶこともめっきり少なくなった。6年生の頃そのまま同じ系列の中学に進学できるよう皆必死に勉強していたが僕は悪フザケにはまり結果、進学も出来ず(笑)とうとう卒業後は姉妹校の全寮制の学校に行った。卒業前にサイン帳に皆にコメントを書いてもらったが彼の文章を見て涙が出た。それはたわいもない文だけど僕はやっぱり彼が大好きだったんだとその時思った。しかし彼との交流はそれ以降なくなった。
2年前に再会した後、彼に招待され渋谷の大きな劇場に芝居を観にいった。入口には奥様がいた。初めてお会いしたが開口一番、うちの家内に向かって「2人は恋人だったみたいですね(笑)。主人も原田さんと再会したことが嬉しかったみたいです。」と話してきた。
恋人かあ・・・そう来たか・・。僕も笑ってしまった。
人気脚本家が書いた芝居とあって若い女性で席は埋め尽くされていた。子供を母に預け久しぶりに芝居を夫婦で見たが、お世辞抜きで面白かった。芝居の後、カーテンコールの時に僕はひとりだけ席を立ち上がって拍手をした。その時、主役の彼は舞台から僕に向かって指を指して親指を立てた。周りのお客達は少し驚いていた。そうだね、これじゃホント恋人だ(笑)粋なことするね。
 後日、芝居の後に彼と2人で飲みに行った。帽子を深く被って歩いていても、店に入っても「あれ?」と一般人に驚いた顔をされる。僕は席につくと「おい、また小学校の頃のように俺がお前の前に立とうか?」と言ったら彼は苦笑していた。それから数時間話し込んだ。懐かしい話やこれからの夢・・・「もう一杯飲む?」と僕が聞くと彼は一瞬悩み、そして「帰ろうっか」と言った。時計は夜中の1時を過ぎていた。そうだ小学校の時も「もう少し話そうよ」「駄目だよ、お稽古遅れるよ」と言って彼は帰った。同じだ(笑)彼は翌日も舞台があるしこの芝居は結構体を動かす。うんあきらめよう。僕たちはそれで別れた。
 その後、F君とは頻繁にメールをするようになった。彼が歌舞伎座で公演している時で僕が銀座で商談がある時は楽屋に行って話しを少ししに行くこともある。たまに夜遅くに電話が来ることもある。まだ彼と再会して2年ぐらいだが、彼は僕の数百倍忙しいからあまり会えないけれど電話は良くくれる。先日も彼に招待されて芝居を観にいったが偉そうに僕はメールで意見を書いた。
家族構成も子供の世代も偶然同じだから面白い。僕の息子もいつか彼の息子と追い掛け回すような仲になるのかなあ。近いうちに家族で会う予定だ。彼の頑張りを見ていると僕はまだまだ頑張らなきゃと思う。僕がいまどういう仕事をしているか、彼も良く知っているから商談が決まったり新聞やテレビ、ラジオに出るときもメールで応援してくれる。歌舞伎俳優とビジネスマン・・・お互いナンバーワンになろうね。僕も君ぐらい有名になってみせるよ(笑)。だから今日も綿ふとんを研究しそして多くの人が買ってくれるように頑張ろう。
そういえば彼は「原田は本名で呼んでくれる唯一の友達だ」と携帯電話の留守電に入れていたね。そうかあ・・・確かに周りから見れば彼は「有名歌舞伎俳優○△さん」なんだよね。もう彼を本名で呼ぶ人はあまりいないのかもしれないね。
案外、彼は僕にメールや電話をしていることで青山一丁目のあのテラスに一瞬戻ろうとしているのかなあ。今回のコラムは彼への恋文だ(笑)
次回は「腰痛ピンチ!おたふく助けて!」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年6月に執筆されたものです

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26.田舎マニア~突然週末に息子と田舎に行く癖がついてきた~

突然家内に「田舎に行く!」
僕は運命で社長になってしまった。社長の器じゃない。全然器じゃない。しかもあまり頭がよろしくない。朝礼暮改の連発、思いつき症候群、猪突猛進、自己PR大好き、落ち着きがない・・・社員がうまくまとめてくれているから順調だがいやあ本当に僕は指導者タイプじゃないんだよなあ。どちらかというと適当に部下もいる、何か大事発生すれば上司に頼れちゃうような立場・・係長とかぐらいがちょうどいいんだろうと思う。しかしまあそうも言ってられない。とにかく明るくバイタリティあふれる毎日を過ごすようにして会社を盛り上げようとしている。会社ではやはり「明るさ」が1番必要だ。それが僕の唯一の取り柄。僕が毎日こうして活動的でいられるのは、週末や休日に気分転換をしているからではないかと思う。ある時は家にあるレコードを回してDJをしたり、オペラの練習と言いながら大声を出したり、家族でサイクリングに行ったり、ジョギングやトレーニングをしているのもそう、、その僕が気分転換で特にはまっているのが年に数回、突然息子を連れて田舎に行く癖がある。これが楽しみで仕方がないのだ。
この前も突然「蛍を見に行く」といって家内と娘を置いて息子2人で新潟の魚沼まで出かけた。実は数年前に魚沼の田舎体験ツアーに参加していたのだがそこで知り合った現地の農協のKさんと仲良くなり連絡して行くようになったのだ。土曜の朝に出発、午後に着きおいしい空気を吸って魚沼産のコシヒカリを沢山食べて民宿に泊まり朝は散歩したりして昼前に東京に戻るのだ。

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小さく白いのが蛍2、3匹見える

蛍は感動した!
その日の朝、4歳の息子に「蛍見にいくよ!準備して!」と言い彼は一瞬きょとんとするが僕と出かけることを喜んでくれて背中にリュックを背負いホイホイとついていくる。彼にしてみたらいつも僕と出かけるときは冒険のような気分なのだろう。そして現地に到着していつもお世話になるKさんの事務所に行き、挨拶を済ませ隣接している公民館の体育館で息子とかけっこやサッカーなどをした。そして外に出て大きな山を見せてしばらく散歩をした。デパートやマンション、ビルがそびえたち、人がごちゃごちゃ歩いている町の中で暮らす息子にとっては田畑の周りを歩くだけでも面白いのだ。
そして夕方には民宿に行き大浴場で遊び、コシヒカリのごはんをたらふく食べてKさんが車で迎えに来てくれた。蛍を見に行く場所まで連れて行ってくれたのだがこの日は屋台も出ていて沢山の人が見に来ていた。オスの蛍がメスの蛍を探すために飛び続けているのその姿、一生懸命お尻を光らせて飛んでいる。「東京で蛍見学会とかあるでしょ?多くの蛍を買ってきて放しているでしょ。あれは本来の姿じゃないよね。こういう田舎で飛んでいるこの数こそ自然の姿なのにねえ。東京から来た人であの光景を見慣れている人はえっ?これしか飛んでないのと言ってくるんだよね。」とKさんは言っていた。うん、確かに沢山飛んでいない。でもこれが自然でありその光点の少なさがより美しく貴重に感じる。縁日の屋台で買ったポップコーンを食べていたら「もっと人が少ないスペシャルスポット行きましょう」とKさんは言ってきた。

そして車で20分、そこは真っ暗な田んぼのど真ん中だった。降りた瞬間、足が止まった。田んぼにさっきのようにちらちらと蛍が飛んでいるではないか!蛍の数は少なくてもあちこちの田んぼに飛んでいる光景は幻想的な美しさだった。そしてKさんに教えてもらい蛍が案外簡単に手で取れることが分かった。人が全然いないから仕切りロープもないのですぐそばの蛍がつかめたのだ。息子も初めて蛍の正体を間近で見れたので興奮していた。光が飛んでいるんじゃないよ。虫のお尻が光らせて下の方で止まっているメスを探しているんだよと説明した。
Kさんに御礼を言って民宿に帰った。ベープがあるのに蚊が飛んでいる。東京だとあんんなに嫌な蚊の音だがここへ来るとその音も何か癒されてるような気になってしまう。
翌朝、息子と僕は朝食前に民宿のまん前にある川に行った。雨が降っていたので流れが少々速かったが息子と岸までいき川を見せた。そして釣堀にいる魚を見せ、餌お与えている姿や魚をさばいている姿などを見せた。朝食も沢山食べた。いやあ凄く田舎は好きだ。息子に音痴ながらも「夏は来ぬ」や「カラスなぜ鳴くの」などを歌うにはちょうどいい情景だ。歌を聴きながらそのシーンを直に見れる。東京じゃ無理だ。

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雨により川の流れが激しい。釣った魚の口に串を入れている

僕には田舎がない。先祖代々博多や飯塚の生まれではあるが祖父祖母がいない現在、行く場所がない。だから僕はここ数年間魚沼に行くようにしている。僕にとっては何となく田舎帰り疑似体験だと思う。Kさんは遠い親戚のような関係になってきた。今度Kさんの家にいくことにもなった。

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早朝の釣堀では水霧が出ていた。右奥が泊まった民宿

魚沼を出発し僕は小千谷市片貝町に寄った。「おたふくわた匠」の生地、片貝木綿でお世話になっている紺仁の十二代目・松井社長に会いに行ったのだ。6月初旬に東京でお会いしているからすぐの再会だが息子に生地の産地を見せたかったのだ。なかなかいい体験だった。そして社長におすすめの蕎麦屋を教えてもらい東京に戻ってきた。民宿は安いし移動費も安い。東京だったら夜のレストラン代でふっとんでしまう。
お盆休みにはそば作り体験をさせるつもりだ。そして秋には恒例の稲刈りだ。僕はこの稲刈を息子に体験させてなかったら彼はしばらく先まで毎日食べている白いごはんがどのようにして作られているか知らないまま食事をしていたはずだ。白いごはん一粒を育てるのにいかに大変かを教えればごはんを残したりはしない。
と親らしい事を書いているが米作りから何まで一番感銘を受けたのが実はこの僕なの
だが・・・・
次回は「小学校ブーム」について書きます。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2008年5月に執筆されたものです

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26.夢の対談が急遽実現!!名古屋の丹羽氏と東京の亀川氏の木綿対談

前回のコラムを書いている時点では正直言って実現できるかどうか分からなかったのですが、丹羽氏から技能士関係の仕事で正式に東京に来られる日にちを聞き、その先はとんとん拍子で決まりました。 ここのコラムではおなじみの名古屋の丹羽氏と、羽毛に頼っている寝具業界に一石を投じて話題になり以前コラムでも紹介させていただいた亀川氏の初対談がついに先日実現しました。初めての方には分かりにくいとは思いますがこの対談は夢の対談といっても過言ではないのです・・。丹羽氏には私だけではなく多くの寝具関係の方から「東京に木綿にこだわっている亀川氏というのがいるから一度会ったほうがいい」と以前から話があったのに対し、亀川氏も「業界の噂ですごい木綿にこだわっている職人が名古屋にいると聞いていた」と話していたので何とか対談が実現してほしいと考えていました。私はこの架け橋になればと思い、以前から丹羽氏と亀川氏に相談し、丹羽氏が仕事で東京に来られると聞き対談が実現しました。 丹羽氏と亀川氏の対談が実現しました。

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丹羽氏と亀川氏の対談が実現しました

対談の場所は東京・神田小川町で丹羽氏が上京時に必ず立ち寄る「TEORIYA」というテキスタイルショップの店主である多田さんの協力で行われました。 最初は木綿の良さについての話や、亀川氏が発言した睡眠環境フォーラムでのパネルディスカッションの話などをしていました。話は徐々に熱くなりはじめ、亀川氏は自らが実験した寝床内気候の話や関東での木綿の作り方について熱く話をされました。一方丹羽氏は先日自身のホームページにも書いていますが公的機関などの協力で保温性の実験を行い木綿ふとんが保温性が一番高いというデータについて話をされました。
羽毛ふとんは寝床内温度が高く体に負担がかかるという亀川氏の話と丹羽氏が行った木綿ふとんの実験では熱が外にでにくいため保温があるという主張とは矛盾しますが、これは実験の方法や条件が明らかに違うのでこの件に対して結論は出せないままで終わりました。しかしアンケートの回答などでも羽毛ふとんは確かに熱くて蒸すと感じる人もいるのと木綿ふとんは最初は冷たいが徐々に暖かくなってくるということも消費者の声や実際のデータで出ています。木綿はふとん全体から熱が徐々に出て行くのに対し、羽毛はセンター部分から徐々に熱が出て行く、また湿度の条件や体感温度なども人それぞれ感じ方が違ってくるなど条件を統一させないと難しいという理由でこの議論は途中で終わりました。この実験については私自身が莫大な費用をかけて施設を借りて実験を行います!といいたいところですが・・・そういうわけにもいかないので、実験用の温度計を購入し私自身も試してみようと思います。

丹羽氏は自ら海外へまわり各国のふとん屋さんや職人さんを撮ってきた写真を亀川氏に見せていました。(しかし丹羽氏の訪問数は並みではないです・・)亀川氏も丹羽氏の行動力や研究熱心さに驚いていました。
また関西と関東とでは昔から木綿の使う種類が分かれるという話も聞きました。
関東ではコシのあるインド綿、関西では軽い米綿、メキシコ綿が好まれるといいます。
どうしてこんなに分かれるのかは疑問ですが地域の性格も大きく影響していると思います。
時間の都合もあり丹羽氏と亀川氏の対談は2時間ほどで終了しましたがそれぞれまだまだ木綿について熱く語りたいといった感じでした。 しかしここで残念なことがあるのですが、亀川氏は年齢的なことから今月でお店を閉めてしまいます。氏は店を閉めた後もできる限り色々な場所で木綿ふとんについて話をしていきたいと考えています。木綿ふとんにはまだまだ沢山の魅力がありそれを多くの人に伝えていきたいという気持ちは丹羽氏と共通している部分です。
丹羽氏はこれからも綿について更に研究を進めていくことを話していました。丹羽氏のような方でもまだまだ木綿には数多くの魅力が隠されていると感じています。私はこうしてすばらしいプロフェッショナルの姿を見てさらに木綿ふとんについて自らも研究を進めていかないといけないと考えました。木綿ふとんは通販などでもまだまだ好調な売れ行きを見せているといいます。羽毛・羊毛・機能ふとんやいろいろな性能のふとんが出ている中、木綿ふとんはまだ根強い人気があります。ではどうして「木綿」なのか・・そこをいかに消費者に説明できるかが私自身のテーマでもあります。この対談はプロならではの熱い談話が聞けました。まだまだ私のようなレベルではこの対談に参加できる資格はありませんが、木綿に対する熱い情熱は私たちの世代が引き継いでいかなければいけないと思いました。
次回は綿商社としても有名なメルクロスの鳥居氏について書きたいと思います。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2003年2月に執筆されたものです

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26.アメリカ人は手作りふとんを知らない。 ~加藤エイミーさんと一緒に商売をすることは今後のおたふくわたにとって意味が大きい~

ブログでも以前書いたが麻布十番で和雑貨などを扱うBLUE&WHITEという有名ショップと組んで弊社の赤ちゃんふとん「おたふくちゃん」を販売することになった。オーナーであるアメリカ生まれの加藤エイミーさんは日本の伝統品や骨董品、珍品などを数多く持つコレクターで写真集や本なども多く出版されている有名人である。私との出会いはブログで参考にしてほしいが、夏前に販売する予定だったがなかなかタイミングが合わずようやく秋には販売が出来そうである。

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お互い時間が合わなかったのも理由だが加藤さんは日本に住むアメリカ人の主婦をターゲットにこのふとんを売ろうと考えている。だから夏に打合せをした時は「子供たちが夏休みに入り多くの家族がアメリカに帰っているから販売するなら秋が良い」と提案してきたのだ。

私がおもしろいと思ったのが、多くの外国人をお客に持つ加藤さんが、今回に限っては祖国であるアメリカ人を完全にターゲットとして絞っていることだ。現在、アメリカでは自然回帰という考えも広がってきている。人工製品があまりにも氾濫して環境を汚してきたという反省が生まれ、現在ではナチュラルブームが来ているという。だがこれはブームでなく文化になっていかなければいけないと多くのアメリカ人が思っているらしい。

知人に聞くとアメリカではそもそも肌着、衣類以外では綿100%という素材が少ないらしい。アメリカ綿は世界でもトップシェアなのに国内であまり使われていないという。
つまり、衣類以外は輸入品として国外に出て行ってしまう。当然綿を使う手作りのふとんなんて知らない人が多い。

加藤さんは綿100%を使った手作りふとんはアメリカ人の多くが興味を持つだろうと話した。「赤ちゃんこそ肌や体に優しい寝具」をうまくPRできればきっと売れていくと感じたのかもしれない。「アメリカ人はアレルギーなども気にするので綿素材は受け入れられるでしょう」と加藤さんは話す。

さて日本に住むアメリカ人は綿100%の赤ちゃんふとんをどう評価するのか。
ふとんを日に干す習慣があまりないはずだから、当社の赤ちゃんふとんの手入れをきちんと続けて欲しいという気持ちはある。だが日に干せばふっくらカサが戻り、日に当たったあの独特の匂いをどう思うかも楽しみだ。そして何より手作りでふとんを作ったすばらしさをぜひ実感してほしい。

もし国内のアメリカ人に今回赤ちゃんふとんが高い評価をもらえばおたふくわたは世界的に勝負をかけてみようという大きな目標を掲げられる。だから何としてもこの販売を成功させていきたい。

九代目 原田浩太郎

※このコラムは2005年10月に執筆されたものです

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